川北英隆のブログ

鏡谷山の下りが難関

高雄山頂上から尾根上の踏み跡をたどり、縦走路に戻った。これもテープが多いから問題ない。後は尾根道を歩き、鏡谷山(176メートル)のゴールを目指すだけだと思ったのだが。
縦走路に戻り、下りになる。高雄山の西側の小ピーク(400メートル)の巻道は地形図とは異なり、実際は下側の破線路を使うことになる。小ピークを大きく巻くわけで、標高360メートルの地点で地形図の道に戻った。
さらに尾根を下ると、南から林道が上がってくる。後はこの林道を淡々と歩けばいい。この林道、2台の車が放置されていた。1台は軽トラで完全に放置、もう1台は路肩が崩れたのか、谷に転げ落ちていた。そういえば、高雄山の北東尾根を登るときに使った林道跡には軽トラとブルドーザーが廃棄されていた。車両の墓場という感じがする。
それはともかく、林道の横に三角点(288メートル)があるので、それにも立ち寄った。楊名のプレートがあり、二ノ頭後と書かれている。調べると、「にのずご」と読むらしい。
二ノ頭後の三角点から尾根を歩いて縦走路に戻ると、鏡谷山への取り付き(尾根と鏡谷山の間にある峠へと下る道の入口)はすぐである。古いながらもテープで印がしあった。
取り付きからは、市町境(城陽市と井手町の境)に沿って尾根に入り、北西に伸びる尾根を下る。多少の踏み跡がある。
この下り、踏み跡をたどると峠の少し北側、植林の中に出た。峠まで少し戻り、鏡谷山の斜面を登る。標高差30メートルくらいだから大したことはないのだが、シダ類をはじめとしてヤブが少し面倒だった。
鏡谷山の頂上部は広く、プレートもないから、どこがピークなのかわからない。
しかも、どう麓に下るのかも迷った。というのも、下ろうと思っていた峠の南側には適当な踏み跡が見つからなかった。鏡谷山の頂上部には西に向かう踏み跡があったので、それを選ぼうかと少し歩いたが、すぐに踏み跡が薄くなった。仕方ないので峠に戻り、峠の北側にあった踏み跡を下ることにした。高度差も30メートル程度である。
峠から植林の中の踏み跡をたどったが、それもすぐに薄くなった。どうしようかと、夕暮れの時刻が迫る中、少し焦りながら下を覗き込むと、地形図にある林道が見える。
そこで植林の斜面を突っ切ろうと決断した。植林の斜面、意外に手入れされていて、下草が少ない。これが災いした。というのも、掴む小さな木が少ないことを意味するから。しかも斜面は急である。植林の手入れのため、横には何本も踏み跡らしきものがあるので、それを足がかりにした順々に下っていった。
最後に林道に出たのは、峠のすぐ東側から北に伸びる尾根が沢に出る箇所だった。実線路が木橋で沢を渡る手前でもあった。下りてから見た印象では、峠からは谷を下りるほうが良かったかもしれない。
安心して沢沿いの林道を下り(1ヶ所、篠笹がかぶさり気味だった)、青谷川の南岸に出て左に車道を歩き、国道307号線に戻った。グーグルに山城青谷駅の電車の時間を教えてもらい、後は行きの道を戻るだけだった。ついでに近道をしようと思い、病院の先で実線路に入った。
行きの道は三角形の2辺的に付けられていて、実線路がその三角形のもう1辺になっている。このため、実線路のほうが100メートルばかり近い。それに同じ道を戻るのも芸がないと思ったから。
これが間違いで、実線路が途中で怪しくなり、南に下ると果樹園に入ってしまった。作業している人がいるので、怪しいものではない証として道を訪ねた。「南に行けばいい」と教えてもらい、結局は遠回りして駅に戻れた。収穫として、市辺という村に何軒か立派な家があるのを発見したことだろうか。
鏡谷山だが、林道の取り付きから沢の橋に下りるまで45分かかった。
写真、上は鏡谷山の山頂、下は高雄山稜線への登りでみかけた放置ブルドーザーである。
20210107鏡谷山.jpg

20210107放置ブルドーザー.jpg

2021/01/07


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