川北英隆のブログ

山吹山と片原山

山吹山のある尾根は玉川の南側を画している。午前中に歩いた上井手三角点のある尾根と対をなし、玉川の峡谷を形作っている。実際、玉川は尾根の250メートルくらい深くえぐって流れている。残念なことに、その展望台を見つけられなかった。
山吹山の山並みに入っても明瞭な道が続く。林業用に使われている道なのだろう。しばらくの間、尾根道の横に林道も付けられている。だから(当然ハイキング用ではないから)、ピークを歩くには自分の位置を確かめつつ、登り口を見つけなければならない。
まず、393メートルの三角点である。送電塔の横を通るとピークが近い。登り口にはテープで印もある。広葉樹林の中、三角点と、「点名山吹」という名札(テープの上にマジックで書いたもの)がある。竹内正『日本山名総覧』でも、この三角点峰を山吹山としている。
山頂から適当に歩いて縦走路に戻る。次の378メートルの標高点はほぼ横を通る。
少し下り、登り返すと地形図上の山吹山である。縦走路から少し寄り道をして「山吹山」のプレートを確認した。広葉樹林の林に包まれ、展望はない。このピーク、『日本山名総覧』では片原山とされる。
ここから稜線は下りになる。地形図に描かれた稜線上の破線路と実際の道とが大きくずれる箇所も出てくる。また、里が近いため、分岐も出てくる。地図とテープを確認しつつ下ることになる。
この下りの部分は複数箇所からの踏み跡が合流するため、藪山的になる。「後は下るだけ」と油断していたため、途中で灌木の枝を避け損ね、右目を軽く突いてしまった。年齢相応、反射神経も鈍っているのだろうが。
さて、地形図によると、下りの北側は玉川に向かって崖(崩壊地)になっているらしいが、よく見えない。大きな石が多くなり、道の土も風化した花崗岩風になる。この風化が(多分)崩壊をもたらしたのだろう。
それに気を取られていたからか、分岐を見落とし、数十メートル、南に伸びる尾根に入ってしまった。玉川の南、天神川へ伸びる尾根である。道はしっかりしていたので、そのまま下りられると思ったものの、地図で確認すると駅が遠くなる。引き返した。
もう1箇所、240メートルの等高線の付近で西に伸びていた尾根が2つに分かれる。地形図上も破線路が2つに分かれている。直進しつつ北西尾根をたどるべきか、テープの表示にしたがって南に少し下った後、南西尾根をたどるべきか迷った。ヤマレコでも「足跡」が2つに分かれている。
まずは直進してみたが、踏み跡が薄いように感じた。大きなハンノキを見つけたのが収穫か。
戻り、南西尾根をたどることにしたが、最初はやはり踏み跡が薄い。そのうち、尾根を外れて下るようになる。登山者以外、あまり歩いていないようで、落ち葉が深く、足元を確認しつつ歩かないといけない。
ほぼ下り切ると石仏があった。弥勒石仏に呼ばれている。三体の仏様が線刻されている。地元で大切にされているのか、正月用だろう、それぞれの仏様に花が供えられていた。
石仏からは参拝用の石段を下り、竹林に出る。山主が竹林に赤土を敷き詰め、春の筍の収穫準備をしていた。
後は車道を歩き、玉川駅に出るだけなのだが、多賀駅と同様、線路が木津川の河岸段丘の下にあるため、もう一下りすることになった。
写真は3枚ある。上が地形図での山吹山こと片原山山頂、中が弥勒石仏である。下は、玉川を挟んで左に上井手三角点の山、右に山吹山の尾根の先端、そして真ん中、玉川の奥に片原山付近の姿である。片原山の下には大きく崩壊した地形も見える。この山々を歩いたことになる。
20210117片原山.jpg

20210117弥勒石仏.jpg

20210117玉川と歩いた山々.jpg

2021/01/17


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