川北英隆のブログ

残念な生き物ホモサピエンス

「ざんねんないきもの事典」が大ヒットした。その本、横目でちらっと見た程度なので正しいかどうかまったく自信がないながら、その残念な生き物の例としてホモサピエンス、つまりヒトが入っていないのではなかろうか。でも、ホモサピエンスは絶対に入れるべきだ。
ホモサピエンスは残念な生き物である。空前絶後に(恐竜のことは知らないが)繁栄しているにもかかわらず、残念なことが続いている。要するに、いさかいであり、戦争であり、独裁である。命をかけ、傷付けあっている。
そんなに他のホモサピエンスと戦わなくても、他の生き物と比較して、十分満足のいく生き方ができるはずである。その満足は、自然からの恵みを受動的に受け取るだけではなく、自然に働きかけ、恵みを作り出せるというホモサピエンスの能力から生まれる。この能力のおかげで、飢えからも、寒さや暑さからも、ある程度だろうが逃れることができるようになった。自然から得たもの、自然に働きかけて得たものを皆で分かち合えば、他の生き物よりもはるかに満足できる状態が得られたはずだ。
しかしホモサピエンスはそれを満足とは思わなかった。もっと満足したい、隣りの家族よりも、隣りの部族よりも大きな満足を得たいと望んでしまった。おかげでいさかいが常態化した。武器を持たないと、いつ貧しさのどん底に落とされるかわからない、命さえも危ないと感じるようになった。むしろ隣の部族を攻め、それに属するホモサピエンスを支配下に置くのがいいと考えるようになった。
政治的な独裁も同じである。王様が生まれた。独裁者が生まれた。クーデターが生じる。
だから今のホモサピエンスは夜もうかうかと眠れない。同盟を結び、互いには攻め込まないようにするしかない。でも、その同盟に入らない部族が必ず登場する。だから今のホモサピエンスは夜もうかうかと眠れないままである。
ホモサピエンス、脳みそが少したくさんあるだけに、ちょっとだけ先を見ることができ、その分だけ「よりよい生き方」をイメージし、行動することができる。しかし、そのイメージし、行動した「よりよい生き方」が本当に望ましいのかどうかはイメージできなかった。侵略や独裁を望むものの、反感を買い、かえって惨めになる例が跡を絶たない。残念である。

2021/02/24


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