川北英隆のブログ

秦川山に苦労して金剛輪寺へ

秦川山への稜線の入口はわかりにくく、GPSとにらめっこしていても赤いテープがないと見逃しそうである。高取山のハイキングコースが立派にできているため、秦川山へと続く主稜が切通し状になり、一見すると土手の感じだから。
分岐から主稜に入っても道は不明瞭だった。とくに最初は尾根が広いから、テープを確認しながら下るのに近かった。灌木の枝も被さっていて、あまり歩かれていないと判明する。尾根が狭くなると踏み跡は少し明瞭になるものの、尾根が細かく曲がる部分では、主稜を外れていないかどうかを確認しつつ進む。
とりわけ注意が必要なのは、480m付近で尾根が3つに分かれる箇所と、そのすぐ先の460m付近で尾根が2つに分かれる箇所である。主稜の方向をGPSで確認しつつ、踏み跡をたどった。この付近から秦川山の北峰と本峰(といっても丘的な峰)が見える。
長い450mの等高線で囲われた尾根を西にたどると、その先端部付近で左に下る踏み跡が見つかる。それを下り、標高430m付近で林道(地形図の破線路付近)に出る。
尾根を忠実にたどるべきか、林道にするのか迷ったが、尾根はほとんど踏まれていないようだったので、林道にした。この林道、北峰の東を通り、秦川山山頂も東側を通る。
GPSで確認しつつ、サルトリイバラに絡みつかれながら、尾根に上がり、秦川山の山頂に達した。植林、広葉樹、灌木の混じる山頂だった。展望はないが、二等三角点(469.0m)の非常に綺麗な標石があった。
下山は金剛輪寺と決めていた。秦川山から尾根を北に下り、西への分岐を探した。色の抜けかけた赤いテープが金剛輪寺への下山道を示していた。金剛輪寺の裏山だから、整備された道があると思い込んでいたため、この入口は意外だった。
さらに分岐に入って下り始めると、踏み跡さえ薄く、落ち葉と枯れ枝が降り積もっていた。誰も歩いていないのに近い。最初の急な下りは尾根状になった箇所を探して下った。腐りかけたビニールテープが所々にある。
急な下りが終わり、溝状の箇所を下るようになる。相変わらず落ち葉と枯れ枝が多いが、地形図の破線路が描かれた尾根を下っているので一安心である。薄い踏み跡が溝状になっているのは、昔はよく歩かれた証拠だろう。
標高370m付近で地形図の破線路から分かれ、尾根を下り続ける。標高310m付近で右(北)に折れる。地形図の別の破線路(金剛輪寺の加古市上から南に下る道)である。すぐに先の破線路(標高370m付近から谷に入るように描かれているが、今もあるのかどうか確認できなかった)と一緒になる。左に折れるように下ると、金剛輪寺の境内に沿うようになる。
と、ここで大問題が生じた。金剛輪寺の境内が鉄柵で囲われている。柵には扉があるのだが、南京錠が掛かっている。奥に石塔があり、もう数歩で金剛輪寺なのだが・・。
方法はともかく、何とか金剛輪寺の本堂(国宝)と、中の仏像、そして約800年ぶりに復元された金剛界八十一尊曼荼羅を拝観できた(本物は廃仏毀釈で流出し、今は根津美術館にある)。近江には素晴らしい神社や寺院があるのだと再認識した次第である。
秦川山への分岐から金剛輪寺まで1時間30分かかった。
金剛輪寺からは県道を北西に歩き、途中で一旦南西に折れ、近江鉄道の愛知川駅に出た。駅は近くの高校生の帰宅時間だったが、優先座席(何でやと言われても「老人と山」で疲れたからとしか言えない)に座れた。
写真、上は秦川山の頂上である。下は金剛輪寺の本堂で、秋には周りのモミジの紅葉が素晴らしいそうだ。
20210509秦川山山頂.jpg

20210509金剛輪寺本堂.jpg

2021/05/09


トップへ戻る