川北英隆のブログ

デジタルは習うより慣れろ

ニュースによると、総務省は高齢者のデジタル化を勧めるため、「デジタル活用支援員」を置き、講習会を開いていきたいそうだ。もちろん反対ではないのだが、その前に行政の原則デジタル化を進めるべきだと思う。「習うより慣れろ」の意味である。
デジタル化というか、パソコンやスマホの活用は、それが必需だと思うと急速に進む。そうでなければ、「どうでもええな」となる。
行政は、弱者保護を建前に、いろんな手続きや申請のデジタル化を後回しにしてきた。いつもながらの謳い文句、プライバシー保護も理由だろう。この結果、どうなったのか。今回のコロナで「デジタル後進国性やなあ」と露呈した。
弱者保護を主張するのなら、そもそもデジタルを活用できないと情報弱者になりかねないことに注視すべきである。もちろんネット上には偽情報が多い。でも、今の世の中、そんな偽物をいかに見分けるのか、逆に制裁を加えるかを心得ないことには生きていけない。一言で表現するのなら、「可愛い子には旅をさせよ」である。
逆に過保護にしていたのでは、国民がますます「もやしっ子」になる。もっと言うと、行政も「もやしっ子」を相手にするから、的外れになっていく。互いに切磋琢磨しないから、ひ弱な国が完成する。
僕がパソコン類を使おうと思ったのは、デジタルを使うことで計算や図表作成が便利になったからである。しかし裏の事情もある。字が下手くそだった。カミさんは「こんな下手くそやったら、昔なら恋文も書けへんな」と笑う。それをカバーするためにワープロを率先して選択した。
自分でデジタル系の機器を買ったのは、プログラム電卓を除くと、ワープロが最初だった。当時の字の上手な上司に、「ワープロ、君のためにあるみたいやな」とからかわれた。
失敗は成功の母である。必要は発明の母でもある。老人という政府が言うところの弱者に、デジタルに親しむことが生きていくためには必須だと思わせないといけない。
実は僕の父は字が上手だった(見せ方が上手だっただけかもしれないが)。だから、彼が70歳そこそこの頃、ワープロを教えようとしたところ、「書いたほうが早い」と拒否された。当時ボケてもいなかったし、若い頃の基礎能力は高かったのだが、それでもだ。
世の中はそんなものである。「勉強してください」だけでは、「これまでちゃんとやってきたし、何で今更やねん」「年いってまで勉強しとない」「面倒や」となる。
まずは役所が率先して、わかりやすくて反応の早い(だれでも簡単に使える)デジタルシステムを作り、そこで何でもかんでも完結するようにすべきである。もちろん従来のまさに「手続き」は、本当の弱者のために残すべきだが、デジタルとの間に圧倒的な利便性の差があれば、少し知恵のある老人ならデジタルに移行するだろう。
もう一度言うと「習うよりも慣れろ」である。そう思っている。

2021/05/19


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