川北英隆のブログ

養老山へ縦走する

養老山に登った日だが、日が沈むまでに帰る必要があった。一方の大垣は遠く、ましてや養老山地に近い駅は大垣のさらに先である。このため、米原まで新幹線を使った。自由席特急券は1000円しない。それに新幹線は空いていて、コロナ対策になる(そう思っておく)。
米原から大垣までの東海道本線も大垣の1つ手前、垂井で少し乗客があった程度である。残り1駅だから、隣に人が座ることもなかった。
養老鉄道も空いていた。「この線、近鉄じゃなかったの」「ボケたかな」と思ったのだが、帰ってから調べるとかつては近鉄だった。近鉄が手放し、地元が引き受けて養老鉄道となった。
地方鉄道の経営はどこも難しい。鉄道やバス事業が成り立たないから、運行本数が減らされる。そうすると不便になり、沿線が過疎化し、ますます使われなくなる。悪循環である。国として抜本的な対策が必要だと、山に入る度に思う。
養老駅の手前から列車は養老山地の麓を走るようになる。山が大きい。
養老駅の次、津屋駅で降りる。駅の北側から出て車道を南東に歩き、線路を渡る。すぐの交差点を右に折れ、南西に歩く。山に向かう坂道である。県道を横切ると車道ながら地道になる。ほぼ道なりに南にカーブし、小さな沢を渡り、志津北谷の川沿いの道になる。
しばらく谷沿いに車道が続くのだが、右手(北)へ道が分かれる。これが東海自然歩道である。川原越の北側から伸びる稜線のかなり下側に付けられている。急な箇所には木の階段もあるのだが、整備が行き届いていない。木の枝が被さったり、倒木があったりする。ヘビもいたし、サルもいた。やがて志津北谷の沢が近づくと川原越(峠)が近い。川原越(標高600m)は尾根道と峠越えの道が交差している。西側の、すぐ下に林道も見える。
峠で一休みしつつ、靴に石が入ったので取り除いた。と、靴下に何やら付いていた。イモムシかなと思って払おうとしたのだが、靴下に引っついた。ヒルだった。摘んで剥がした。靴下の下に噛み傷がないことを確認しておいた(血が出ていなかった)。
川原越からは北に向かって稜線を歩く。川原越までと違い、ハイキングコースとして整備されている。その代わりに木の階段が多い。適当に階段の横を歩いた。小さなアップダウンが続く。稜線の東側は広葉樹と松の混じった林なのだが、西側は植林が多く、林道のような道も付いている。津屋避難小屋、多芸(たぎ)ノ台の展望台を過ぎ、稜線が南西を向く。標高800m程度の稜線が続く。最後に一登りすれば、コースは養老山の東側を巻くようになる。
ハイキングコースからほんの少し逸れ、養老山(859.3m)に達した。山の名札には別名も書かれていて、多芸山とある。ヒノキが目立つ林の中のピークで展望はない。一等三角点がこのピークの値打ちか。明らかに31年前の「最高点」と思しきピークとは違っていた。
津屋駅から川原越まで1時間20分、川原越から養老山まで1時間10分だった。
写真、上は養老山の山頂、下は北にある展望所から見た養老山である。
20210602養老山山頂.jpg

20210603養老山.jpg

2021/06/02


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