川北英隆のブログ

寄り添う盛り土はお好き

好きでない言葉がいくつかある。最近良く見聞きする中で、「寄り添う」とか「絆」が好きでない。いずれも東日本大震災の後でよく登場する。絆は以前から使われていたが、「寄り添う」はデートの時の表現はともかく、それ以外はあまり使われなかったように思う。
それが、「優しく、行き届いている」、「期待にぴったり応える」という使われ方をする。家族に寄り添うとか、被災者に寄り添うとかが代表的だろう。
こんなことを書くのには理由がある。数日前だったか、日経新聞に住宅の特別広告が挟み込まれていて、そこに「寄り添う」との表現が使われ、確か国土交通省の大臣が使っていた。「住宅 寄り添う」「日経 住宅 寄り添う」で検索すると、いくつもヒットする。住宅と「寄り添う」とがフィットしているというか、まさに言葉が寄り添っているわけだ。
ここでイメージしてみよう。住宅というか、家に寄り添われた状態が心地いいのかどうか。「家がいつもぴったりくっついて来るなんて嫌だね」「シュールだね」だろう。少し現実に戻ろう。イヌ派ならともかく、僕はネコ派である。というのも、あの妙によそよそしくする、もしくは(ネコにとって)都合のいいときだけ「ニャー」と軽く鳴く、あの態度が好きである。要求が見え見えなだけに、合理的な態度だと思う。
もう少し言えば、「寄り添う」のは善意の押し売りでもあり、裏に悪巧みが潜んでいるかもしれない。住宅の場合、本音は業者に寄り添っている。もちろん善意は嬉しいが、それが度を過ぎると鬱陶しい。デートで寄り添い過ぎているペアは傍迷惑である。
もう1つ嫌いな言葉が、熱海の土石流事件で久々に登場した「盛り土=もりど」である。湯桶(ゆとう)読みそのものであり、最近登場した言葉ならともかくも、広辞苑には「盛り土=もりつち」とあり、これが昔からの言葉である。そもそもは土を盛るわけだから、「もりつち」と読むべきだろう。もしくは「せいど」である。それをわざわざ「もりど」と読むのは、素人が土を盛り上げるのとは異なり、いかにも立派な仕事をしてるとでも誇りたいのだろうか。
ここまで書き、今回の事件、素人ではそこまで大規模かついい加減に土を盛り上げる作業なんて不可能なわけだとの事実に気づいて、「もりつち」ではなく「もりど」と読んでもらってかえって幸いだったかもしれないと思い直した。これからは「もりど」とは熱海の奥、伊豆山のように土を盛る作業のことであり、「もりつち」とは通常のきちんとした作業のことだと、区別しようかな。

2021/07/11


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