川北英隆のブログ

少年よ相場師になれ

大学に入る前、かなり上等なラジオを買ってもらったらしいことを書いた(8/21)。それが本当かどうか確証(というか記憶)はないものの、当時(1960年代後半)、父親を株式で儲けさせていたのは確かである。
だから、「ラジオが欲しい」と言えば買ってもらえたはず。買ってもらう理由は十分あった。ついでに(セットで)英語の上等な辞書を買ってもらったのだろうと思う。こちらは近くの本屋に買いに行った記憶がある。
1960年代後半から70年代の初頭にかけ、日本経済は先進国に向かって驀進していた。1965年に山一證券が実質的に第1回目の経営破綻をした。それが実質的なアク抜けとなり、日本経済の驀進が始まっていた。
当時、父親にどの企業の株式を買わせたのか、多くは忘れた。大学に入る直前に買わせたのが厚木ナイロンと五洋建設だったのは覚えている。滑り止めのため早稲田を受験しに行った新幹線の中だったと思う。
ちゃんとした企業は父親も名前知っていたから、買わせたのがそれ以外の企業だったのは確かで、仕手性のある(毀誉褒貶が強く値動きの激しい)企業が多かった。
とはいえ、電炉業界に多かったボロ企業というか完全な仕手株まではいかなかった。まだ日本経済が伸びていたから、経済の伸びとともに成長できそうな中小型企業が多かった。
社会人になってから、ある時に父親が、ふと語った。「ちゃんとした大学に入っていなければ・・」と。その場合どうさせようと言ったのかは覚えていない。ただ、大学に入れなかった場合まで想定していたのだという事実に少なからず衝撃を受け、記憶に残った次第である。
父親は、僕が相場師になってもいいと思っていたのかもしれない。だからラジオを買ってくれたのか。
でも相場師にはなれなかっただろう。冷静に振り返ると、株式で父親の懐を潤せたのは、時代の流れが良かっただけである。それと、当時は「誰も相手にしない、それでいてちゃんとした企業」、つまり掘り出し物がいくつもあったからである。
1つの例は今のコムシスホールディングスである。当時は日本通信建設という企業名だった。額面500円、100株単位の注文だった。それを父親が間違って1000株の買い注文を入れた(誤発注した)ところ、1日100株の売買があるかどうかの企業だったので、株価が急騰した。幸い1000株買えなかった。1000株買えたとしたら(確か株価は1000円だったから)100万円以上の現金が必要となり、すぐさま資金を用意できなかったかもしれない。それはともあれ、この企業、当時としてなかなかの狙いだったことを調べて確認してほしい。
もう1つは国際電信電話である。今はKDDIになっている。これも当時は額面500円、100株単位の注文で、あまり売買されていなかった。狙いは「これからは海外展開の時代」にあった。半官半民の企業で、その後に不祥事もあったのだが、それでも大きく化けた。
もちろん思い通りに上がらなかった企業も多い。O型だから(?)、成功したことだけを具体的に覚えていて、失敗したことは「嫌なこともあったな」程度にしか覚えていないものだ。
この投資スタイル、今ではなかなか通用しない。とはいえ、少し先の社会や経済をイメージした上で、その時流に乗りつつ、しっかり経営している企業を選ぶのは、今でも株式投資で成果を得る必要条件の1つだと思っている。

2021/08/24


トップへ戻る