川北英隆のブログ

神と上と紙

あっさりと菅政権が退陣するとか。って書くのは遅いけど、まあその程度の関心しかない。これについて知人とメールをしていると、菅政権が1年間取り組んだワクチンとコロナ対策に話題が及んだ。
知人の説は、菅政権が楽観的すぎた、最悪の事態を想定して対応策を講じてこなかったというもの。今はそういう説が各方面から述べられている。
楽観論に戻ると、最初は保健所の感染経路発見能力への過度の依存、次は国民への自粛要請、そして今はワクチン一本足打法になった。前2者はウイルスが軽々と乗り越えてしまったし、最後のワクチンも乗り越えつつある。
もっと何重にも対応しないことには、日本の感染者数が世界のワースト10(9/4のブログを参照のこと)からさらに上を目指すだろう。ちなみに今日現在、ワースト9になっている。もう一歩で、オリンピック風に書くと「入賞」である。8位のロシアに接近しているから「チャンス」かも。
その中でワクチンが一番科学的だったわけだが、そのワクチンの足を引っ張るのが既得権益である。知人風に言うと、「医者が既得権益を死守するために薬剤師のワクチン注射を阻止したのが、今ここで集団接種をしようにも人手が足りない一因」となる。その既得権益に対抗するため、「政府として法律を改正する時間が十分あったのに、楽観ばかりを唱えて動かなかった」となる。
政府が楽観的過ぎたのは、元寇や太平洋戦争のときと同様、「神国、日本」を信じていたのかもしれない。神に守られている国だからコロナに負けるはずがない、国民が神国を信じて自粛すれば、ついでにワクチンさえ手に入れれば、コロナを完膚なきまでにやっつけられると思ったのだろうか。
既得権益というと、農業も教育委員会もそうである。権益を手にしているから農業改革や教育改革を率先してやろうとはしない。改革とは、彼らにとって天にツバするようなもので、権益が縮小し、やがて手放すことにつながる。
日本の企業も、多くの大企業が権益に依存してきた。明治の殖産興業によって今の大企業の礎が築かれた。鉄鋼が代表的だろう。戦後を振り返ってみても、東電を中心に電力会社が権益をつかんで政府と二人三脚で歩み、福島の事故に至った。金融機関も護送船団方式で守られ、結果として先進国とは思えないシステム的後進国になったようだ。
この既得権益を言い換えれば、お上頼みである。先に述べた医療や教育だが、国民がデモやストライキ起こせばいいのにと思うのだが、この国ではそんな言葉が死語化している。国民全体が楽観に陥っているのだろう。良くはないけど悪くもない生活に不満はないというわけで、国全体が「お上」頼みであり、今の政府は頼りないけど代わりもいないというわけだ。野党はどうしているのかと思うのだが。
それで、菅政権に戻ると、株式市場ではネクスト菅への期待で盛り上がり、今日の日経平均株価はコロナ以降の最高値寸前にまで上がった。「でもね」と思うのは、日本の財政、もはや大盤振る舞いどころではない。これ以上の支出をしようとすると、日銀の(正しくは独立行政法人印刷局の)輪転機がフル回転し、壊れるかもしれない。まさに紙幣という紙頼みである。
これでいいのか。神を頼み、お上を頼み、紙を頼む。そのうち大女将が「そんなかっかせんときやす。一献いかがどすえ」とお猪口を差し出してくれるのだろうか。「ワテ、日本酒は嫌いですねん、生ぬるいし。きゅっと引き締まったモルトウイスキーはありまっか、バーボンでもよろしおまっけど、生で」と言ってみようか。

2021/09/08


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