川北英隆のブログ

桟敷ヶ岳から雲ヶ畑へ

桟敷ヶ岳の山頂で時間を確認し、ノンビリと昼食がてら休んだ。複数のヒル食にも気づいて少しショックだった。靴を脱ぎ、まだ付いているヒルがいないかどうかも確認して、下山をどうするのか考えた。
かつて(2006年)の桟敷ヶ岳からの下りは北東に下り、魚谷(いおたに)山方面に向かった。途中から道が消えたと記憶している。今回は明確な道を下りたいと思い、南に少し尾根をたどった後、祖父谷川沿いの車道を歩くことにした。尾根をそのまま薬師峠まで下り、雲ヶ畑に出てもいいのだが、バスの時間を考えるとリスクが高くなる上に、かつて歩いた道であることから、今回は選ばなかった。
尾根を下る道は2つある。東屋根と南尾根である。東尾根は少し踏み跡が不確かなように思えたし、多分前回はその尾根を途中まで歩いた後、北東に下ったはず。
今回は南尾根を下った。すぐに鞍部となり、少し上がると送電塔がある。その数歩先、東へと小さな尾根を下る道がある。
灌木の中に付けられた、石ころだらけの下りである。林の中に入れば下りやすくなるのかなと思ったのだが、少しましになったのも束の間、沢の中や縁を下るようになる。前週の岩籠山の下りに続いて沢の道である。しかも前週よりも道の整備が悪く(道に付けられていた階段が壊れ)、滑らないように注意しなければならない。
沢が大きくなり、右手に離れていくと多少道は良くなる。獣避けのネットをくぐり(ネットと支柱を結ぶ紐をほどき)、作業用の道に出る。下の舗装された車道に出るには、しばらく作業用の道を歩き、もう一度ネットをくぐることになる。
後は舗装された車道を下るだけである。歩きながら見ていると、谷に多くの植林が倒れ込んでいる。撤去がほとんどされていない。倒木がちょっとしたダムになり、土石流を発生させる恐れもある。祖父谷川は鴨川の最上流部である。「問題やな」と思いながら雲ヶ畑岩屋橋まで歩いた。
岩屋橋には料理旅館が複数あるのだが、休業しているようだった。もくもく号を待つ間に惟喬神社に参った。文徳天皇の子、惟喬親王がこの地に住んでいたので、その縁で祀っているとか。
もくもく号は10分ほど前に来た。途中で1人乗ってきた。この日のこの便の乗客は2人、1人700円で市営地下鉄北大路駅まで送ってくれた。
写真、上は惟喬神社である。下は、前回わかりにくかったマタタビの実の拡大写真である。
20210917惟喬神社.jpg

20210917マタタビ拡大.jpg

2021/09/17


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