川北英隆のブログ

二酸化炭素削減と緑への偏見

最近の日経新聞に森林に関する記事が目立つ。1つは、森林の乱伐を抑制すれば、森林による二酸化炭素の吸収量減少を抑制したとの「ご褒美(売却可能な認証=クレジット)」が得られるとの制度だった。
もう1つはバイオマス発電の記事だった。バイオマスとは植物を燃やす火力発電である。植物は二酸化炭素を吸収する。バイオマス発電で排出された二酸化炭素は、元をただせば植物が吸収したものだから、差し引きゼロ、環境に優しいとの評価がなされる。
現実はどうか。記事によると、クレジットにもバイオマス発電にもインチキが隠されているそうだ。
確かに誰しもがイメージするように、クレジットの場合、たとえば「乱伐の抑制を過大に見積もる」インチキがありうる。
バイオマス発電の場合、たとえば「今まであった森林を伐採して燃やして発電する」わけだから、その伐採した森林を修復しないかぎり、「太古の植物の今の姿である石炭を燃やして発電する」のと何の違いもない。そこで「植林します」と言わせるわけだが、その約束が破られるかもしれない。守られたとしても、伐採されたのと同じ森林が復活するのは何十年も先、温暖化対策としては間に合わない。
以上のようなインチキや、インチキと言わないまでも「変なこと」が生じるのは、今の二酸化炭素評価の枠組みの中に、ストック評価の概念が的確に組み込まれていないからである。具体的には、現存する森林であり海洋というストックの評価である。
ここでは森林だけを考える。海洋は海岸線近くを除き、誰もものでもないとしておく。
僕が子供の頃に未開の地だったアマゾンやボルネオの森林が、今現在、乱開発されている。それは「特定の樹木を除き、森林の多くが無価値」とされるからにすぎない。
その森林には本当のところ、少なくとも二酸化炭素吸収能力という価値がある。だからクレジットやバイオマス発電に環境的な価値を見出そうとした。しかしクレジットやバイオマス発電という「森林を伐採しないと、もしくは伐採される可能性がある場合に限り」価値を見出そうとするのは矛盾である。少なくとも筋が非常に悪い。筋の良い方法は、現存する森林に価値を認め、その価値に対して素直に対価を支払うことである。
環境に熱心な欧州がこの森林の価値にあまり言及しないのは、森林の価値を認めると彼らに不利だからであろう。開発し尽くされた今の欧州には、まとまった森林がない。「現存する森林に価値を認め、その価値に対して対価を支払う」決まりになれば、欧州は完全に持ち出しになる。
他方で熱帯雨林のある地域(代表的にはコンゴ、インドネシア、ブラジル)が潤う。それでいいではないか。何の支障があるのだろうと思う。先進国はこれらの国の犠牲の上に発展してきた。これらの国に恩返しすべきである。そうすれば現代の難問である南北問題の解決にも一役買うだろう。
欧州が環境対策に熱心な裏には、環境問題の主導権を得て、それを欧州の利益にしようという魂胆がある。環境問題に遅れた日本としては、自らが森林大国であることを踏まえ、現存かる森林の価値を認めるよう、声高に主張すべきである。
そうすれば、世界がかかえる難問の解決に対し、日本が先進国としての役割を果たせるのではないか。さらには多くの森林を有する地方経済の再生にも資する。日本国内の難問の解決策でもある。

2021/12/16


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