川北英隆のブログ

続・岳の洞

続きである。M君からメールが来て、彼の記憶というか、「多分」というコースなどが書いてあった。
まず、登ったのは1974年5月1日だそうだ。5月だから連休に登ったのかなと思っていたが、調べると5/1は水曜日である。初めて(それにしては素早く)有給を取って山に入ったのかもしれない。
当然ながら、ニッセイはメーデーも出勤日である。実は僕が大学4年生の時、会社訪問解禁日は5/1だった。しかし5/1はメーデーである。また、すでに某証券会社がほぼ内定していたので、悠々と5/2にニッセイを初めて訪問した。そのついでに、前日のメーデーは休みだったかと質問したところ、面接担当者(その後のN取締役)に笑われた。
それはともかく、コースはガイドブックを参考にしただろうとのこと。名張から太郎生の奥の敷津までバスで入り、神末(こうすえ)から岳の洞に取りつき、杉平に下りたようだと。神末と杉平は、今でもよく使われている岳の洞への登山口である。
杉平から奥津もしくは名張まで、当時はバスがあったらしい(今も敷津、杉平、奥津の間は津市コミュニティバスがあるとか)。かすかにだが、確かそのバス、適当なのがなくて(名張行きのバスだったかもしれない)、がっかりした記憶がある。そのために、奥津経由という遠回りで帰ったようにも思う。
いずれにしてもほぼ半世紀前のため、記憶が途切れている。そんなことが二度とないようにと、このブログに記録を細かに書いているし、写真もスマホで相当撮っている。
と書いたところ、「でも残りの寿命は大したことない」との声が聞こえた。それに対する反論がすぐにあって、「老人になると記憶力が悪くなるからね」と。まあボケ防止ということで、山行の記録をこまめに書いておこう。

2021/12/29


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