川北英隆のブログ

大和の郡山の昔とは

源九郎稲荷や源九郎餅の中嶋のことを調べたついでに、2つの事実を発見した。1つは子供の頃から気になっていたことである。もう1つはたまたまである。
子供の頃から気になっていたのが奈良県の地銀、南都銀行の発祥について。その昔、郡山支店の前に南都銀行の変遷図が掲げてあった。当時は子供だったので真剣に眺めていなかったが、どうも郡山支店が名門だということだけは感じ取れた。
昨日、南都銀行の前を通った時、ふと子供の頃を思い出した。今の郡山支店は当時の建物とは違う。場所は同じなのだが建て直されていて、昔の変遷図はない。そこでネット(全国銀行協会、銀行変遷データベースなど)で調べてみた。
すると、明治11年(1878年)、郡山に第六十八国立銀行が設立され、明治30年(1897年)に国立銀行が私立銀行として営業を継続、六十八銀行になった。その後、1934年に御所銀行、八木銀行、吉野銀行と合併し南都銀行になったとある。
現在の南都銀行の本店は奈良市にあり、立派な石造りである。その建物、南都銀行によると、大正15年(1936年)、六十八銀行の奈良支店として竣工されたとある。昭和3年(1928年)、奈良支店が六十八銀行の本店となり、郡山時代が終わったようだ。
もう1つの発見は郡山高校である。お城の跡を使い、高等学校としている。その郡山高校、今では奈良県に多くの進学校があるため、あまり認知されていない。県立高校においても、奈良高校、畝傍高校の次らしいのだが、実はその昔、奈良県第一の名門だったようだ。
というのも、郡山高等学校のサイトによると、奈良県で最初に設立された旧制中学校だとある。明治9年(1876年)に小学校教員を養成するため郡山予備校が開設、明治14年(1881年)に大阪府立郡山中学校になり(奈良県は不遇で、堺県や大阪府の一部だった)、明治26年(1893年)に奈良県尋常中学校になったとある。奈良高校の前身、奈良中学ができたのは1924年、畝傍高校は奈良県尋常中学校、つまり郡山の分校として発足したらしい。
「うーむ」である。奈良県における郡山の地位の低下を再認識した。江戸時代が相対的に最盛期だったのか。

2022/01/30


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