川北英隆のブログ

大磯の浅間山今昔

浅間山の一等三角点を訪れたのは1983年5月だった。逗子にある一等三角点の二子山と両方を歩いたと記録にある。当時、低い山ならカミさんも同行してくれたので、家族サービス(?)を兼ねてそうしたようだ。
その浅間山、登った気になっていたのだが、東京に行くついでに一山と思い、登山記録を調べたところ、浅間山の名が出てこなかった。理由は、地形図には「浅間山」の名がなく、高麗山で調べたからである。
つまり「高麗山」という名の山には登っていないことになっていた。当時は5万分の1の地形図を使っていたので、そこに名前がなかったのだろう。一方で浅間山は一等三角点だから、「登った」と記録しておいていいと思い、記しておいたようだ。
それと、浅間山の北西に鷹取山という丘がある。今回の計画時に、この鷹取山に登ったのだろうと思ってしまった。ブログを書くにあたって鷹取山にどう登ったのだろうと思い出そうとしたところ、最寄り駅から非常に遠い。そんな所にカミさんを連れて行くと文句タラタラのはずなのに、そういう記憶がない。それに千畳敷の記憶がかすかにあった。「変だ」と思って調べ直した次第である。
いずれにしても39年近く前のことである。東京に行く間際に急いで計画したため、ミスしてしまった。それに記憶に薄い昔のことだから、再訪といっても新鮮さがあった。
最初に登った時は春だから、山全体が緑に溢れていた。今回は冬、それほどまでに思わなかったものの、木々がすくなくなっているのかもしれない。
もう1つは千畳敷である。テレビ塔にはかすかな印象を残っていて、「ひょっとして」と思ったのだが、全体としての「高台の公園」的な雰囲気には何の記憶もなかった。多分最近になって賑やかになってきたのだろう。
さらに言えば、大磯駅から高来神社への途中にある旧東海道である。大きな松が残り、当時の雰囲気が少しだけ感じられた。それと山と里との近さである。高麗山に登っていると東海道本線を走る電車の音が大きい。また千畳敷から下りはじめてすぐ、麓の民家で喧嘩をしている猫の声が大きかった。さすが、標高200mに満たない湘南の山である。
写真、上は千畳敷からの富士山(当日は薄雲が多かった)、下は大磯の旧東海道に掲示されている安藤広重・大磯宿である。
20220204千畳敷からの富士.jpg

20220204広重の大磯宿.jpg

2022/02/04


トップへ戻る