川北英隆のブログ

倉橋惣三物語

講談社から最近出版された「倉橋惣三物語」をいただいた。副題は「上皇さまの教育係」、著者は倉橋燿子氏と倉橋麻生氏である。
「上皇さま」とは平成天皇である。倉橋惣三氏とは、皇太子だった平成天皇の教育係を務めると同時に、東京女子高等師範学校(今のお茶の水女子大学)において幼児教育を担当した教育者である。この倉橋惣三氏の物語が、日記などの資料に基づいて書かれている。
倉橋惣三氏と筆者たちの関係は、名字からある程度推察できるように、燿子氏にとって「夫の祖父」、麻生氏にとっては「曽祖父」である。もっとも、燿子氏は「(倉橋惣三氏に)会ったことがない」と著書に書いてある。だから資料に基づいて書くしかなかったらしい。遡れば家族であったから、多くの資料が残されていたらしいが。
僕は倉橋惣三氏を知らなかった。筆者である倉橋燿子氏とも面識がない。ただし、倉橋麻生氏とは15年間以上一緒に仕事をしてきていて、いつもは倉橋さんとか麻生(まお)ちゃんとか呼んでいる。仕事とは、企業の環境活動(E)や社会的活動(S)に関する調査と格付けの付与であり、仕事の場は、時々ブログに登場してもらっているグッドバンカーである。
その倉橋さん、グッドバンカーで働く前に宮内庁に勤務していたことを知っていた。珍しいキャリアなので記憶していたわけだ。「それがどうしたのかな」と思いつつも、「ひょっとして、本音のところ下品な僕と少し生まれが違うのかな」とも思っていた。
その「違う生まれの一端」がこの著書に書かれている。1つは、上で述べたように教育者が曽祖父だということである。もう1つは、倉橋さんが宮内庁に就職した時の、平成時代のエピソードである。倉橋さんが平成天皇に拝謁したところ、「倉橋惣三さんには、とても可愛がっていただいた」と声をかけられたという。
倉橋という名字、レアではないが多くもない。宮内庁勤務ともなると氏素性を細かくチェックするだろうから、倉橋惣三氏の血筋だと判明したのか。それを平成天皇に伝えたことは十分考えられる。平成天皇が「倉橋って・・」と質問した可能性もある。
世の中、いろいろあるものだと感じた。それだけに面白い。近代的な幼児教育を日本に確立した人物が、どう明治から昭和を生きたのかも面白い。

2022/02/26


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