川北英隆のブログ

東日本大震災11年に思う

東京に出てきた。会議が終わり、雑談していると、急に周囲が立ち上がった。ビル全体に放送が流れ、黙祷を告げたらしい。
その前の光景である。東京のいくつかのビルには国旗が揚げられていた。竿のテベッチョが黒い布で覆われている。「誰か、皇族が死んだのかな、でもネットを見た限りそんなことはなかったし」「ウクライナが占拠されたのかな」と思った。
次の瞬間、「3月11日や」と悟った。「11年が経過したのに、そうなんやな」と、日本の的外れな真面目さに思いを新たにした。日本は震災から逃れられない。しかし原発事故からは逃れられるし、当然そうあるべきだ。
11年前の3月11日、東京にいた。勉強会兼飲み会が中止となり、有志で飲んだ。それから11年、11日という当日に(多分)東京にいたことはないし、ましてや同じ時間に遭遇することはなかった。「黙祷の時間」に出会うなんて、思ってもいなかった。まだまだ大震災と原発事故の思いが続いているのだと改めてと思った。
当事者にとっては当然だろう。「でもね」と思う。大震災は横に置くとして(震災のことを言い始めるときりがないし、将来の地震に対して抜本的に対応していないのだが)、11年間、政府は原子力に関して何をしたのだろうか。どんな政策を打ち出したのだろうか。
黙祷もいいのだが、その前に政府に対して、「ちゃんと責任を持った対応をしろや」と要求すべきだろう。思うに、11年間、原発に対する政策は止まったままである。迷走しているというか、寝たふりである。誰も政府の要人は、関係官庁は責任を感じていない風である。原発事故に対する国の責任は曖昧なままにして、むしろ責任を民間企業に転嫁しようとしている。本当にそれでいいのか。
僕は黙祷を適当にしておいた。その場で踊り出したらと思わなくもなかったが、さすがにできない。黙祷よりもっと先にやるべきことがあるだろうというのが本音である。政府がそれを勧めているのなら、なおさらである。原発と震災の犠牲者に対し、我々は何もできていない。11年にもわたる黙祷とは、良い子ぶっただけのことでしかない。

2022/03/11


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