川北英隆のブログ

ついでに潮海山

大山を越し、予定していたバスに乗れた。これで余裕が生まれた。田原に出てそのまま帰ると早すぎる。かといって田原の北から西を取り囲む山(3ピークある)を歩く気力もない。そこで前もって見つけてあった潮海山(27m)に寄り、その後で田原市内の見学とした。
潮海山、読み方が不明である。地形図に山名が記されているので、竹内正『日本山名総覧』を見ればわかると思ったのだが、この潮海山は総覧から漏れている。ネットで調べると「ちょうかいさん」とある。しかし潮海山の横を流れる川の名が汐川だから、「しおみやま」の可能性も捨てきれない。
それはともかく、標高27m(三角点なし)は愛知県で一番の低山だとか(そらそうやな)。この点でも『日本山名総覧』は、愛知県で一番低い山を秋葉山58m(どこにあるのかは調べていない)としている。
もう1つ、低山歩きをしていて新聞のコラムを賑わせた(テレビにも出た)会社同期のK君、この潮海山には登ったのかなと気になった。全国の低山を調べるのにも『日本山名総覧』は便利なのだが、それに頼っていたとしたら逃したかもしれない。
それはともかく乗ったバスがどこを通って三河田原駅に行くのかわからない。スマホのGPSでバスの進路を追跡し、「警察前」で下車するのが良さそうだと判断した。バスを降り、警察の東横の狭い道を南に下った。後は地図を見ながら南南東に向かって適当に歩き、国道259号線を渡り、汐川の西側にある農業用の道路に入った。潮海山のすぐ西横を通る地形図上の実線道である。潮海山が小さな皿か杯のように見えてくる。
登り口は西側の朱色というか赤い鳥居である。「女人禁制」の表示があるとネットで読んだのだが、当日は何もなかった。男女平等に付き撤去したのか。
鳥居をくぐり南側に回り込むように登ると、すぐに祠で出る。しかし道はそこまでである。祠の数歩手前、左手に踏み跡があったので、それをたどることにした。枯れた竹が覆いかぶさり、踏み跡をたどれない。仕方ないので竹を踏みしだいて進む。10歩くらい歩いたか、山頂らしき地点に出た。2つ石碑があり、1つには「征清紀念碑」(記念ではない)と刻まれているようだったが、もう1つは文字らしきものもなかった。征露紀念かもね。
その石碑に向かって真っ直ぐに伸びる道(と言っても草が生えている)がある。北側から登れるのかと思ったものの、帰りも同じ踏み跡を戻った。大した歩数ではないから。
潮海山からほぼ真北に歩くと三河田原駅である。その手前に「道の駅」があるので立ち寄った。野菜(トマト)と青海苔の佃煮を買い、軽く昼食を食べた後、駅に向かった。
写真、上は汐川沿いの農道から見た潮海山、下は潮海山の山頂である。
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20220308潮海山山頂.jpg

2022/03/08


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