川北英隆のブログ

日本は燃え尽き症候群かな

昨日の日経新聞を読んでいると、小学生から進学のために塾に通う、塾のための塾さえあるとの話題があった。小学生で通ったのは算盤やピアノ程度の世代からすれば、今の進学努力は子供の将来の芽を摘み取り、社会に悪影響をもたらすと思ってしまう。
一部の天才的な子供を除き、多くの子供の才能に大きな差異はない。このため、他人よりも多くの知識を18歳までに詰め込むことができれば、有名大学に入れる。その知識は資金力次第で、進学塾や予備校化した中学と高校がどっさり運んでくれる。
しかし、そこまでして詰め込んだ知識がどこまで役立つのだろうか。
興味ある分野以外は早晩忘れ去る。社会に出て役立つ能力とは知識ではない。その知識を土台にした論理展開力である。「ひらめき」も重要だが、その「ひらめき」もまた、意図せざる論理の道筋の上にある。
もう1つの大きな問題は、大学に入ってしまうと燃え尽きてしまう危惧である。日本の多くの大学生は、大学での勉強と努力をサボる。文系がとくにそうであろう。勉強し、努力することに疲れたからである。知識習得が勉強だと信じているから、何でも「先生、教えて」である。
その点、いい加減に大学に入った学生の方が相対的に伸びる。大学で勉強したい分野を見つける率が高いからである。これに対して、受験勉強だけで大学に入れば、興味ある分野を見つける時間は開放感と遊びのために失われてしまう。
思うに、今の日本企業が伸びないのは、つまり日本が世界的な競争力を失いがちなのは、大学を卒業してサラリーマンになった多くが、努力することを忌避しているからではないのか。努力し、競争することは大学に入るまでに嫌というほどした。だから社会人になってから、さらに努力するなんて、「もう堪忍や」ではないのか。
もちろん社会人としての「競争は嫌や」とは、ほぼ全員が口には出さない。心の中でどう思っているのかが問題である。「競争は嫌や」ではなく、「競争はダサい」かもしれない。
もちろんそれは本人の勝手だからどうでもいいのだが、多くの日本人がそう思い始めると経済が凋落していく。今の日本経済が歩んでいる道ではなかろうか。これまでの日本の経済が豊かだったことも、「競争はダサい」に味方している。
もっと言えば、著名企業に入社した者が、「学閥に乗り、上司にすり寄り、社内政治を働かせ、上手く出世街道を歩みたい」と思っているのなら、必然的にグローバルな競争から遅れてしまう。日本のかつての著名企業がみすぼらしくなってしまった真の原因が、経営層を含めて多くの社員が本来の努力を忌避してしまう傾向、言い換えれば燃え尽き症候群にあるのではと思えてしまう。
結論である。僕らの世代と異なり、今の18歳までの生活は実に厳しいようだ。しかし多様性と論理力が失われている。今の大学受験に何の意味があるのか。思考のための基礎知識を習得するだけであれば、今の18歳までの努力は途方もない無駄である。日本社会を大きく歪めている。
発想を逆転させてはどうか。今の大企業に入っても仕方ない。だから著名大学に入っても仕方ない。出版物や情報が山ほどある。それを自分で学び、起業すればどうか。18歳までに本当の意味での一芸を磨けば、道が開ける。藤井聡太君みたいかな。

2022/05/06


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