川北英隆のブログ

矢田寺への道

近鉄郡山駅でM君と待ち合わせ、矢田寺前行きのバスに乗った。バス停は駅から数分歩く。分割された郡山小学校の跡地にある。その小学校の卒業生ながら、バス停を使うのは初めてだった。矢田寺前行きのバスはアジサイのシーズン中、臨時増発するそうだ。
バスは反時計回りに郡山城跡を半周程度する。矢田は近鉄郡山駅のほぼ真西で、矢田筋というそのものずばりの通りを使えば近いのだが、かつての城下町の道だから狭くてバスが走るには無理がある。
郡山城跡は、矢田丘陵の西側にあるさらに低い丘陵、五条山と称していたと思うが、その南端に位置している。このため矢田筋を矢田に向かって歩くと、坂道を上がる。武家屋敷があった場所を通り過ぎ、坂を下ると富雄(とみお)川に出る。子供の頃、父親の自転車に乗せてもらい、ホタル狩りをした。
富雄川を渡ると矢田丘陵への上り坂が始まる。今は高専と民族博物館があり、建売住宅地が広がっているが、かつては完全な中山間地だった。小学校のマラソン大会やその練習のために、富雄川の少し先までは何回か行ったように記憶している。
正確な場所はわからないが、小学校の低学年の頃、父親が「マツタケ狩りに行こう」と言い、矢田か富雄に出掛けた。富雄は富雄川の上流部の地名である。その当時(1960年の少し前)でも、マツタケは上がらなくなっていたようで、父親がぼやいていたのを覚えている。
矢田丘陵に向かう道は夢にも登場する。坂道を上がると、見知らない土地に出て、迷うような。その通りを今回、バスの車窓から見ていて、夢から覚めたような気分だった。
矢田の村に入り、バスの終点である。矢田寺の小さな門前を歩き、山門に着く。石段を上がって境内に入る。
まずアジサイの庭園を散策した。狭くてアップダウンのある回廊を歩く。満開まで10日ほど早いように思えた。満開時には混雑が予想される。
その後、本堂の特別拝観である。天武天皇の勅願寺とされるだけに立派だった。本堂を出る時に「閻魔堂も」と言われたので立ち寄った。矢田寺の地蔵菩薩と閻魔大王とはセットである。
一通り見終わった後、境内を北側から抜け、矢田山に向かった。
写真は矢田寺の本堂から見た参道である。奥に小さく奈良の東山も見える。
20220604矢田寺.jpg

2022/06/04


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