川北英隆のブログ

スマホと信号の矛盾

スマホのガラス製フィルム成仏で思い出したことが2つある。スマホ歩きと信号への従順さである。
町に出ていつも思うのは、若者のスマホマナーの悪さである。スマホばかり見て人混みの中を歩くのがやたらと目につく。電車の乗り降りでも、駅の階段でもスマホを見て歩いている。迷惑千万と友人もいつも怒っている。
「向こうから人が来たら避けるやん」ということだろうが、時々ぶつかる。手にぶら下げている荷物とぶつかる、もしくはぶつけることもある。こっちも、「何でそんなアホな奴のために道を譲らんとあかんのや」と思っているからなのだが。
ぶつかるだけではない。混雑の中や階段でスマホを見て歩くと、どうしても歩みが遅くなる。だから後ろが渋滞する。これだけは文句をなかなか言えない。だから相手には「迷惑をかけている」感がないようだ。
もう1つ、町に出ていつも思うのは、信号でのマナーの良さである。京都では、車1台がやっと通れるくらいの道にも多くの信号がある。東京でも時々ある。その信号が青になるまで従順に待つ者が、若者を含めて大部分である。
左右を見たら車の来ないのが明らかなときにもそうである。ルールに忠実なのか。それでいて、信号が青になるとスマホを見ながら横断歩道を渡っていく。2車線や4車線の横断でもスマホを見て渡っていく。
ルールを守るのならスマホを見ながら歩かないはずである。とすれば、数歩で渡れそうな交差点の信号を忠実に守るのは、万が一の事故から身を守るためかもしれない。しかし横断歩道でスマホを見ていたのなら、その万が一の事故に遭遇しかねない。要するに思考がバラバラなのだろう。
もしくは2つ以上のことを同時に考えられない可能性もある。要するに「お馬鹿やん」だが。
多分、歩き始めると反射的にスマホを見てしまうのだろう。周りに迷惑をかけていること、自分が危険な状態にあることに考えが及ばない。
一方、赤信号を見たら歩みを止めてしまう。すると信号のことしか頭に入らず、青信号になって初めて信号から思考を解き放てる。
それで、「アンタはどうなんや」と言われると、山ではスマホを見ながら時々歩く。もちろん、岩や木の根の多い場所でどうしても見ないといけない時には立ち止まる。町中でスマホを見ることはほぼない。場所を確かめないといけない場合は立ち止まる。
信号はというと、勝手知ったる小さな交差点では自分で判断する。とくに一方通行の交差点では安全の確保が比較的容易である。知らない町では慎重だが。付け加えると、老化で判断力が衰えれば、その時には従順になろうと思っている。

2022/08/14


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