川北英隆のブログ

企業と従業員と多様な発想

従業員に対するリスキリング(社会の流れに即応したスキルの習得)が叫ばれ、これに対応しようとする企業も出てきた。その一方、従業員に教育をすれば他社に引き抜かれかねないと、教育投資に尻込みする企業もまだ多いと聞く。
かつて海外留学させれば、帰国直後(もしくは海外留学中)に辞められてしまうと企業は危惧していた。実際、外資系企業に引き抜かれるケースが散見された。留学をしなくても優秀な従業員には、ヘッドハンティング業者が触手を伸ばした。
いつも思うのだが、他社に引き抜かれて悔しかったら、引き抜き返せばいいだけではないかと。さらに思うのは、1990年代に始まったバブルの崩壊以降、日本企業は海外留学に出す費用がもったいないとか、従業員教育にもコストがかかると考え、留学を海外から国内に切り替え、さらに社内研修の場も縮小していったのではないか。
結果として、従業員の見識が狭くなり、能力も高まらないままになった。これは企業にとって非常に大きな損失である。この損失は目に見えないから、今まで企業が見逃してきた。
と、突然にリスキリングと言われ、慌てているのではなかろうか。もっと言えば、今の企業の経営者層は見識の狭いまま、社内だけを見て育ってしまったから、デジタル化をはじめとする社会の潮流が見えていなかったか、見えていたとしても本質が理解できていなかったように思う。
以上のような企業に勤める従業員として、何をすればいいのか。一言で表現すれば「勉強」である。勉強といっても、座学だけでは不十分である。重要なのは他流試合だろう。留学がその典型だが(と経験のない僕は想像する)、違った環境で育った者たちが、同じ素材に対して違った反応を示すことを観察するのは非常に面白い。「そういう発想があるんや」というわけだ。
多様性の学習である。それぞれの発想を議論することで学ぶことも多いだろう。加えて、雑談の時間になるといろんな世の中の流れが披露される。取捨選択が必要なものの、見識が広がる。1つの会社という閉じた世界では得られない貴重な体験である。
副業が認められるようになったのも、従業員にとってはチャンスである。収入の意味ではない。いろんな世界と接することができるという意味である。「ゼニ儲けや」という発想では意味がほとんどない。もちろん年老いてくると「ゼニ儲けや」だろうが、そうでなければ多用な世界に触れられることに主眼を置くべきだ。
そのようにして学んだ上で、別の世界に移ればいい。現実世界におけるアバターの形成である。変身しなければ、狭い世界に埋もれてしまう。
企業もまた、今いる従業員を優れた人材に育てることともに、引き抜かれれば引き抜き返すという発想に転じるべきである。それによって人件費はアップするだろうが、それ以上の成果が生まれればいいわけだ。そういう発想に切り替えないと、グローバルな競争に打ち勝てない。
逆に、ヘッドハンターなどから声がかかったかどうかを従業員に申告させるのも一法だろう。自社の従業員の能力水準を客観的に推察できるようになる。

2022/08/17


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