川北英隆のブログ

コロナと電力と国の責任欠如

政府が新型コロナの全数調査を見直すという。感染者数が急増し、全数把握のための医師や保健所の負担が大きくなり過ぎたためだとか。理解できる部分と、できない部分とがある。
医師が保健所へ提出する書類をネットで探し出した。たとえば「感染症法12条」で検索すれば出てくる。その書類を見ると、確かに記入がえらく面倒そうだ。とくに役所的な書類によくあるように、年月日や電話番号などの数字を表計算ソフト(Excel)のマスごとに入れる必要があり、しかも自動的に入力マスが移動しない。「さすが日本政府のデジタル化や」と感心する。また、その書類を保健所はどう処理するのだろうかと、他人事ながら心配する。
それはともかく、これだけのデータを日本政府は集めているわけだから、新型コロナに関する何らかの研究成果も出ているはずだと思うのだが、日本発の成果は聞いたことがない。データを集めることが目的化しているのだろうか。
集めたデータが有効活用されていないのなら、つまり単純に都道府県別や年齢別に集計し、公表されているだけなら、その集計に必要なデータを継続的に得るだけでいい。少なくとも、現在のような負荷を医師にかける必要はまったくない。
新型コロナの出現から2年半以上が経過した。最初の1年間程度は仕方ないとして、その後の1年間以上、政府としてどのように対応してきたのか。思い描くと、ワクチン接種ぐらいだと思えるる。そのワクチンは海外からの輸入品である。
他方、流行の波の度に発生する検査や医療の逼迫には改善がない。現象的には医師会の壁を突破できていないし、政府の責任として(正確には自民党の責任として)本気で突破しようという意欲に乏しいと映る。
コロナ対応で改善があるとすれば、それは病院、医師、医療スタッフのノウハウの蓄積である。国民もまた、「軽症であれば病院に行っても仕方ない」と思い始めた。万が一、重くなれば、そのときに連絡して十分だ。そんな対応を最悪だとは誰も断言できない。
政府はといえば、「やります、やります」と常に言うが(残念ながら、政府のような上等なセリフを思いつかないし覚えてもいないので、このブログで書くことができない)、その言葉だけが何層にも堆積し、ヘドロと化し、腐敗発酵した結果、「新型コロナの全数調査の見直し」という泡がブクブクと水面上に浮かんできたのだろう。
ここで連想するのは電力行政である。福島原発の大事故から11年、電力政策は何も進んでいない。この夏は乗り切れたが、今度の冬は危ない。この11年の間、政府は原子力発電に固執するだけで、自分自身では何もしてこなかった。電力会社に対して後ろから「やれや」と叫ぶだけに等しかった。
福島原発の事故の重みを考えると、政府は最前線に立ち、自ら行動すべきである。一国の責任者である総理大臣がトップとして指揮すべき事柄だろう。しかし歴代のトップは、誰もそれをやろうとせず、財界から生贄を選び出す方式を採用してきた。「節電するとポイントが得られる」なんて子供だましの、税金をばらまく方式だけは採用した。税金を誰のものだと思っているのか。もっと品の良い使い方をすればと思う。
その結果、今年の冬、もしくはもう少し先、計画停電を強いられれば誰の責任に仕立て上げるのだろうかと、悲しいながらの見物である。

2022/08/24


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