川北英隆のブログ

遺産の寄付をどうするのか

知り合いのお婆さんが老人施設に入った。施設に入るくらいの資金は手元にあり、すでに払ったらしい。問題は、それまで住んでいた自宅である。売ったとしても、それは身辺整理のためであり、売らないと生活ができないという切実さがない。
遺産を相続する相手がいないか、いたとしても「やっても仕方ない」という先ばかりらしい。少子化になると、子供や親族に遺産を残しても仕方ないケースが増えてくるに違いない。よく考えると、子供が親の遺産を当てにして生きるなんて、ドラ息子化やドラ娘化を助長するようなものである。「ドラって(どこかにそんな名の猫がいたな、カミさん家の猫だったか)、猫ちゃんご免ね」だが。
かといって、どうするのか。適当な遺産の寄付先を思いつかないとのこと。信頼できる先がないということだろう。
市町村に寄付したところで、例えば京都市の場合、今の和服の市長さんが信頼できるなんて到底言えない。財政難であるにもかかわらず、決めたのはその前だろうが、市庁舎を大改装している。新設の建物もある。
公益法人にも、実際のところ、信頼に足る先があるのだろうか。思い出すと小学生の頃、緑の羽根や赤い羽根に毎年少額の寄付をしていたが、その寄付を取りまとめる団体は天下りのために作られたようなもので、寄付した資金の何割が本来の目的に使われていたのか怪しいものだった。そう記憶している。
今もいろんな公益法人というか、世界的な団体がある。「でもね」と思うのは、売名行為的もしくは、役職員の利益を図る的な団体が多く混じっているのも確かである。僕は、様子をみながらだが、ウィキペディアに多少の寄付をしつつある。そのサイト、さっと利用するのに便利で、よく利用させてもらっているから。寄付はその対価である。
最初に戻り、知り合いのお婆さんについては、親族に適当な先がないのなら、病院か大学に寄付するのがいいのではないかと思っている。でも大学と言った瞬間、我田引水的になるのではないかとの心配がつきまとってしまう。

2022/09/06


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