川北英隆のブログ

勝山と姉川合戦跡を訪ねる

北陸本線の長浜駅を降り、バス停のある東口に出る。伊吹登山口線は2番乗り場から出る。最初は何人かの乗客がいたものの、市街地を離れると僕だけになり、その僕も東上坂口で降りた。終点まで乗客なしで走ったのだろう。いつもの山行きバスパターンである。
東上坂口のバス停は東上坂の北側にある。バス停の北側には最初の目的地である勝山が、小さな皿を伏せたように見える。見渡すと、伊吹が七尾山の上に頭を出し、金糞の一角も見える。
勝山の南側に流岡神社(正確には神社跡)があり、奥に大きな杉がある。姉川の合戦の時、織田側に付いた徳川家康がそこに陣を張ったという。
大杉の横から林の中を上がると、すぐに三角点(131.0m、点名は岡山)のある山頂に着く。
この丘、元は点名のように岡山と呼ばれていたのだが、姉川の合戦に織田側が勝ったので勝山と呼ぶようになったとある。山頂付近の林はシラサギの巣になっているようだった。
神社側に戻り、国道365号線の野村橋で姉川を渡った。その後、浅井側の陣地となった三田村氏館跡を見た。土塁が残っている。水路も堀の代わりだったのかなと思えた。屋敷の跡地にはお寺が建っている。
その後、姉川の合戦の碑(三田と野村の2箇所)を見た。こちらは石碑があるだけなのだが、地名に血原や血川が残っている。浅井の陣地側が主戦場になったとわかる。
これら姉川の合戦の主要部を探訪した後、七尾山の西麓の村、南池に向かった。
上の写真は東上坂口バス停付近からの勝山である。右に金糞岳の一角が見える。下の写真は姉川の合戦の石碑である。
20221112勝山.jpg

20221112姉川の合戦石碑.jpg

2022/11/12


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