川北英隆のブログ

長浜周辺と七尾山を歩く

今回は近江の国、長浜の東にある七尾山(690.8m)を歩き、ついでに周辺の丘も訪れた。近辺は浅井と織田が戦った姉川の合戦の舞台でもあるから、歴史への旅でもあった。
京都からは東海道本線と北陸本線の列車に乗って長浜まで行く。長浜からは、調べると伊吹登山口線が七尾山登山口の近くまで行く。駅の東口のバス停から乗り、東上坂(ひがしこうさか)口で降りた。七尾山だけならもう少し先までバスで行けるのだが、最初は姉川の合戦の探訪である。
まずは徳川家康が陣取ったという勝山(131.0m)と、浅井の家臣の城郭だった三田村氏館跡を見た。その後、七尾山の東、南池登山口から尾根道をたどって七尾山に登った。下りはもう1本南側の尾根を下り、今荘に出た。ハイキングコースとして最近整備されたと思える今荘側の尾根のほうが歩きやすい。それに対して南池側は、かつてよく踏まれたコースのようだが、倒木を回避するための脇道が多く、わかりにくい箇所がある。
七尾山から下りた後は長浜に戻ればいいだけなのだが、ついでに2箇所を歩いた。
1つは、今荘から姉川を渡って対岸に出ると、横尾丘陵もしくは臥龍丘陵と呼ばれる丘の北の登り口に出る。すぐに茶臼山の三角点(147.8m)、古墳の上である。
その後は丘陵を南に歩き、古墳群の上をたどって横山(312.0m)に上がった。羽柴秀吉が、織田氏と浅井氏との対峙の時代に守った城とのこと。この山頂で横尾丘陵を終わりにし、西に下って石田に出た。「ひょっとして」と思っていたが、この石田という村落は石田三成が生まれた地とされているようだ。
もう1つは石田から西に歩き続け、長浜の1つ米原寄りの田村駅に向かい、その直前で田村山(138.0m)に上がったことである。田村山から駅まではすぐだった。
琵琶湖の東岸には、昔は島だったような丘が多い。今回の丘以外にも、名の付いていない小さな高みがたくさんある。
東上坂のバス停に着いたのが8時10分、田村駅に戻ったのが15時50分だった。七尾山の山頂付近は紅葉がほぼ最盛期だった。
上の写真は中央が七尾山である。田村へ歩く途中で写した。右に伊吹山がある。この七尾山と伊吹山の下に横尾丘陵が伸びている。下の写真は同じく田村への途中で写した金糞岳である。先月に登ったばかりだから、「あれやった」と眺めていた。中央の一番奥の三角形のピークがそれである。
20221111七尾山と伊吹山と横山.jpg

20221111金糞山を.jpg

2022/11/11


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