川北英隆のブログ

東京のビルの建て替え-2

1977年から2003年まで東京勤務だった。87年10月までは日生劇場のビルにいた。87年10月から日比谷シャンテに移ったが、88年4月には日生劇場のビルに戻った。97年3月から03年3月までは再び日比谷シャンテだった。
堅気のサラリーマンとしての東京での26年間のうち、19年半は日生劇場のビルだったことになる。シャンテが6年半である。もう1年、堅気なサラリーマンを辞した後、防衛庁の横というか下にある元アジア経済研究所のビル(中央大学が買い取っていた)にもいた。
ということで日生劇場が面する日比谷通りへの思い入れが深い。その日比谷通りのビルが建て替え時期に入ったのは前回書いたとおりである。
それに次いで思い入れがあるのは呉服橋界隈だろうか。角に元大和証券のビル(その後、パソナが入った)があった。実はその大和証券のビルに1984年4月から3ヶ月ほどいた。「証券業務の研修を受けろ」ということだった。
呑気な研修だったと思う。同時期に研修を受けていた平和相互銀行のST氏、日本郵船のYK氏とよく昼飯を一緒に食べた。それと時々だったので名前を忘れたが、日の出証券の研修生もいた。
昼飯の場所は、再開発中の八重洲付近(東京駅の東北側)が多かった。当時の雑然としていた風景はすでに一変しつつある。安くて美味いので知り合いと飲み会をした店もあった。今の再開発が完了すれば、さらに見違えるようになるのだろう。同時に、高いか、普通の店が展開するのかも。
また大和証券を挟んで永代通り沿いにあったビル群が一変する。サラリーマンとして東京に出てきた頃、背の高さで目立った朝日生命のビルも、安田信託(今のみずほ信託)のビルも取り壊されつつある。
そうそう、大和証券のビルはすでに常盤橋タワービルに立て替わっている。それと、当時赤くて目立った東京海上のビルも建て変わるらしい。そんなこんなと数え上げれば切りがない。
そこで終わりにするが、その前にもう1つだけ。
東京に出てきた当初、銀座(三越の手前、晴海通り沿い)にあったイエナ書店に時々立ち寄ったことを思い出した。といっても帰宅の方向と異なるから頻繁には行けなかったが。
そこの洋書は大阪がはるかに及ばないレベルで、目を見張るばかりだった。美術館系が多かったと記憶している。2002年1月に閉店したとか。そこで買った何冊かは今や宝物かもしれない。

2022/12/17


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