川北英隆のブログ

スマホ歩きはアホやで

最近の街を歩いていると、スマホを見ながらというのがますます増えている。「堪忍やで」ながら、現実は現実である。猫も杓子も、老若男女を問わず、スマホを見ながらが多い、実際のところ老いた人間はさすがに少ないと思うのだが。
スマホ歩きは邪魔である。混んだ場所や階段では迷惑極まる。「何を考えてるんや、トロトロ歩くな、邪魔やで、蹴ったろか」と思う。でも普通は、「邪魔や」とか「とっととせいや」とは叫べない。というのもマスクの時代である。まして蹴るなんて、とんでもない。
「でもね」と思うのは、「こんなやつらは貧乏なままで終わるのやろな」と。そう納得している。どういうことなのか。僕は別に金持ちではない。とはいえ食うに困ってるわけでもない。そう断りつつ、スマホ歩きがどういう理由で貧乏につながるのかを書いておきたい。
いい事例は満員電車での過ごし方である。
僕がサラリーマンだった頃、押し合いへし合いで通勤電車に乗っていた。そんな中、新聞や漫画雑誌を他人の迷惑を考えずに読む連中がいた。僕は、彼らが(彼女らは珍しかったが)読む新聞や漫画雑誌をちらっと見て楽しんでいた。時には「次のページを早く」と思いつつ、興味のない紙面やページになると「今日の仕事の段取りをどうしようか」とか「書類の全体構想をどうしょうか」とか考えた。
「しょうもない、一瞬で済みそうなことに延々と時間を使わない」。これが経済的にも時間的にも豊かな生活の基本である。この観点から言えば、通勤電車の時間は、1つはそれがスポーツだと思えば納得できる。もう1つは思考のための時間である。
同じことはスマホにも言える。もちろんスマホに頼らないといけない時間があるだろう。でも、スマホを見る時間の多くは、現実には「つまらない情報を得る時間」となっている。僕の経験からもそうである。実のところ新聞でさえそうである。数日置いて読むと、読むべき記事が多くない。
しかも街中をスマホ歩きしていると、肝心の情報、つまり現実がどうなっているのかを見過ごしてしまう。何が流行っているのか、何が不足しているのか、新しい事業として何が起こりつつあるのかなどである。この情報は株式投資に役立つ。儲けにつながることが多い。
他方、スマホ歩きして何の役に立つのだろうか。忙しそうにスマホを見ながら歩いたとして、逆に損失につながることが多い。たとえば僕の場合、メールの内容に怒ってしまい、即座に返事をして、それが大損をもたらしたとか、人間関係を損ねた経験である。大した損害ではないものの、今から考えると、「時間を置いて冷静に対応すべきだった」と反省したりする。
されにスマホ歩きしないといけないほど時間に余裕がないなんて、滅多にない。習慣でスマホを見るだけではないのか。
という僕は山歩きではスマホと睨めっこに近いのだが。木の根っこに躓いたり、あげくは崖を踏み外したり、クマちゃんとぶつかったりしないように注意したいものだ。

2022/12/15


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