川北英隆のブログ

高倉神社付近を歩く

京都を朝早く出発すれば、上野市駅前からの三重交通バス西山行きに乗れる。今回は西山の手前、鳥居出のバス停で降りた。JR伊賀上野駅から歩けない距離ではないものの、待ち合わせ時間を考えても時間を稼げるのは確かである。
御斎峠周辺を歩こうかと考えたのは、前回の国見岳付近の地図を見ていたときである。一気に歩くには通しので、分割することにしていた。
西山行きのバスは始発にも関わらず、乗客は完全に僕だけだった。鳥居出以降は無人になった。いつもながら、伊賀上野地区の多くのバスが廃止されるのではないかと考える。
鳥居出で降り、車道(県道)へ北に歩いた。後から調べると、歴史の観察には1つ手前の畠山が良かった。というのも、向かった西高倉(鳥居出)の村落は昔の補陀落寺への参道沿いにあり、歴史の名残りが多いからだ。
とはいえ今回のルートにも泉があり、補陀落寺までの丁石もある。後者は文字を刻んだものとしては日本最古とのことで、1253年(建長五年)の年号もあるとか。また司馬遼太郎が「街道を行く」で歩いた碑も設けられている。
それらを見ながら歩くと、いつの間にか高倉神社を通り過ぎた。意識はしていたのだが、神社へ向かう道がなかというか、(少したどったものの)廃道になっていた。「それを見ないとねえ」というので引き返した。
村の北の外れに高倉神社のケヤキというのがあり、そこに鳥居がある。その脇に階段があるので、それを下りて旧道に入り、沢を右岸に渡ると高倉神社だった。桃山時代の彫刻が残されていて重文だとか。しかし現在は無人のようで、廃れた感が強かった。例祭だけは行われているようだったが。また境内にはシブナシガヤが自生し、それが天然記念物らしいのだが、木々の葉が落ちてよくわからなかった。
結局、高倉神社を探して30分弱ロスしただろうか。再び車道を歩き、補陀落滝に寄り道しつつ、門口(もしくは水上)地蔵尊で分岐を西に入った。ついでに書いておくと、門口地蔵尊までの県道は比較的車が多い。その分岐を西に入るとほんど車を見なくなる。
上の写真は高倉神社である。下は補陀落滝である。12月中旬にもかかわらず水量があった。
20221222高倉神社.jpg

20221222補陀落滝.jpg

2022/12/22


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