川北英隆のブログ

高旗山を往復して御斎峠へ

門口地蔵尊の分岐から西に続く道は県道である。明智光秀の謀反の時、徳川家康が甲賀から伊賀へと間道を使い、三河へと逃れたのだが、その途中、甲賀と伊賀の境にある御斎峠越えを助けたのが多羅尾氏だという。県道はその多羅尾に通じている。
車道には車が少ないので悠々と歩ける。当日は平地でも最低気温が氷点下まで下がったものの、車道は南斜面に付けられているので比較的温かかった。
北西からの風で枯れ葉が舞うのを楽しみながら、かつ地図を時々見ながら歩いていると、御斎峠近くにある709.8mの三角点が目に入った。最後に目指している三国塚よりも高い。しかも高旗山と表記されている。
「寄らないといけない」と急に思い立ち、そのピークを目指すことにした。いつもながら細部は現地でとの計画ではあるものの、当日はその極めに近かった。
実は御斎峠へ登るには西山から尾根を直接登るのが近い(これは事前に知っていた)。高旗山への道は、この西山から尾根を上がってくる道の延長線上にある。
徳川家康の当時、御斎峠を越える道が、もっと言えば当時の御斎峠が今の御斎峠だったのかどうか不確かながら、少なくとも伊賀側のかつての道が、門口地蔵尊からの県道だとは到底思えない。今はハイキングコースになっている西山からの道ではないだろうか。
それはともかく、西山からの道が県道を横切る地点に高旗山への登山口がある。表示も新しく、整備されている。まずは階段を登り、御斎峠から続く尾根に上がる。左下に車道があり、どうもゴルフ場(タラオカントリークラブ)への道らしい。
尾根に出た後、東に歩く。植林の混じった林が続き、小さな沢を越してから登りになる。薄い積雪上の動物の足跡を追うように登り、笹を刈り払った高旗山の山頂部に達する。
三角点(709.8m、点名は高旗山)がある。山頂からは鈴鹿(積雪あり)、伊賀、曽禰、榛原、そして生駒の展望があった。刈り払われた先に背の高い笹が残っていて、それが少し邪魔だったが。
展望を楽しんだ後、往路を県道に戻った。往復40分程度だった。
高旗山からの下山後、御斎峠はすぐである。峠は何もないに近く、拍子抜けだった。峠を越え、多羅尾氏が代官だった頃の仕置場を少し見て、その先の展望台に寄った。高旗山と同じような展望なので感動が少ない。もっとも積雪の大峰付近が見えていると知ったのは新鮮だった。
上の写真は高旗山の山頂である。下は御斎峠である。右奥に句碑が小さく写っている。
20221222高旗山.jpg

20221222御斎峠.jpg

2022/12/22


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