川北英隆のブログ

サウジアラビアへの見聞旅行

サウジアラビアに出かけた。海外とは3年以上ご無沙汰だった。知人から誘いがあり、またサウジアラビアという石油大国の様子を見たいこともあり、ツアーに参加した。
2019年9月17日、サウジアラビアは49国に対して観光ビザでの入国を解禁した。そのすぐ後にコロナ問題が発生したため、実質的に昨年末から今年にかけてが解禁年のようだ。
1980年代の後半だったと思うが、サウジアラビア国資産の日本での運用を任されていた専門家の話を聞いたことがある。定期的にサウジアラビアに運用報告をするそうで、成績が良ければ宝石箱のようなものが運ばれてきて、その中から好きなものを持って帰っていいと言われるそうだ。では成績が悪かったときにどうなるのか。お互いにとって怖い話になりそうなため、話題にならなかった。
もう1つ、「そらありうるな」という話があった。サウジアラビアのホテルで風呂に入るには、最初に水を溜め、その後で湯を入れないと、暑い国なので水温調整ができないとか。今回の旅行はサウジアラビアの冬であったことと、話から30年以上経過した現在はホテルの設備が様変わりだろうから、そんな「貴重な体験」はできなかった。
今回の旅行のコースを書いておく。まずはドバイ経由で首都リヤドに入り、北部のハイルに飛行機で移動した。そこからはツアーバスで、北西部にあるジャバル・ウンム・シンマン (Jabal Umm Sinman)の岩絵を訪れ、次に南西部にあるアル・ヒジュル(al-Hijr)/マダイン・サーレハ遺跡に立ち寄った。後者はヨルダンのペトラ遺跡と同じ文化である。
旅の後半はツアーバスを利用して、イスラム聖地の一端を見た。まずはモハメッドの墓があるというメディナを訪れた後、紅海の貿易都市ジェッダを見学しつつ、メッカの「異教徒の境界線」まで近寄った。帰国はジェッダからドバイ経由だった。
印象として、訪れた時期が冬という多少雨の降る季節だったことと、標高が高かったこともあり、「砂漠の国」との印象に乏しかった。もう1つは道路網が発達していて、片側3車線が普通に見られることだった。「さすが」というところか。
料理はというと、カロリーを得ることが主目的であり、味は次の次くらいのようだった。金持ち国として得ている豊富な食材がもったいない。逆に言えば、味にうるさくないから砂漠に生き、領土を拡大できたのだろう。
イスラムの国だからアルコールはない。むしろ最も厳しい。入国時にスーツケースを開けられるのも普通だと聞いていた。アルコールを持っているのが見つかると厳罰だと思い、ウィスキーも持参しなかった。かつてのイラン旅行でどうしたのか忘れたが、そこでも多分持参しなかったと思う。いずれにせよ、帰国時にドバイで飲んだビールは仏教徒にとってのラマダン明けだった。
写真は、上が砂漠のイメージキャラ、ラクダである。珍しい白いラクダもいた。下は異教徒がメッカに近づける限界の表示である。「異教徒は曲がれ」と言っているのだろう。
20230220ラクダ.jpg

20230220メッカの限界.jpg

2023/02/20


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