川北英隆のブログ

大文字山とイシダの変化

今年の梅雨は本当に梅雨らしい。しかもこの5月、6月と、久しぶりにかなりの仕事が入った。おかげで6月になり、山に入るチャンスが極端に減った。
先週まで、6月に歩いたのは富山の呉羽山と篠山の虚空蔵山だけである。いずれも半日で終った。そして今週はというと、仕事と天気の組み合わせがよろしくない。近場の半日の山も考えたが、少し手間取ると予定している仕事に間に合わないかもしれない。と、このプランは断念せざるをえない。
以上から、最後に残った切り札、大文字山を歩き、運動量を補うことになった。同時に、昨年9月から歩いていない大文字山に変化がないかどうかのパトロールでもある。
歩くと、山は夏に入っていた。花はゼロに近く、クリが少しだけ咲いていた。2018年の台風で大きく壊れたコースは修復が進み、以前のルートをほぼ歩けるようになっていた。ただし、歩く人数が多く、今やマウンテンバイクも通る。だから土や岩が削られ、大きな段差の生じた箇所もあった。
大文字山の裏道も同様だった。1人のオジさんが、そんな歩きにくいコースに木の階段を付けようと、留め具代わりに鉄の棒を打ち込んでいた。
裏道の途中、深い広葉樹の林は依然、健在だった。曇っていたため林の中に届く光が少なく、若葉の様相をまだ少し残している内の緑が鈍く輝き、かえって林の上部が水面のように光をたたえていた。
大文字山を銀閣寺側に下り、ついでに吉田山を越え、東山丸太町に出た。この交差点、八ツ橋の元祖(元祖争いをしていたかな)や熊野神社がある。学生運動の拠点、京大熊野寮もある。
交差点近辺で知られていないのが秤の石田衡器である。今は名前をイシダに変えた。僕が学生の頃から、本店なのか工場なのかがあり、その裏に多分なのだが社長宅があった。立派な日本家屋だった。
今回、通ると、敷地全体が西洋式になっていた。社長宅も、そんなジロジロ見たわけでないが、外見は日本式ながら構造は西洋式になっていた。
京都は面白い町である。ワコールの社長邸や、イシダの前身である石田衡器の社長邸を見て歩けた。それが趣味でないものの、「ええ、こんなとこに」という感覚が好きだった。しかも日本の伝統を重んじている。京都企業らしい。
ワコールの元の社長邸には、もはや社長が住んでいないように聞いた。イシダもそんなのだろう。残念なことだが、それだけ京都企業が成長した証でもある。

2023/06/26


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