川北英隆のブログ

責任逃れに徹する放送局

台風7号が上陸した。気象庁の観測によると、朝5時前に潮岬に中心が到達した後、和歌山県南部の紀伊山地を横切り、10時頃に和歌山市の上付近を通ったようだ。京都市内は久しぶりのお湿り、どちらかと言えば嬉しい。市内の北部、西部、東部の山沿いは知らないが。
ということで、7号は「京のぶぶ漬け」の意味をある程度理解していたようだ(「何のこっちゃ」の方は、昨日の「本当に台風がやって来て」を見てください)。
今回の台風で思うことがいくつかある。
1つは台風のニュースである。どの放送局もニュースの時間になると同じようなことを報じる。何局もおなじことをやるのは無駄ではないのか。
今回の台風では、「そんな通り一遍の報道では間に合わへんやろ」というので気象庁のサイトを中心に見ていたから知らないが、海辺の町から暴風雨や白波を実況中継するという手の「催し物系」の報道は、どこかの代表局が統一して報じることで十分である。止めろとまでは言わない。
2つには「命の危険」という手の絶叫調の報道である。某国営放送のことである。加えてつべこべといろんな指示もする。関係する自治体がやるべきことを放送局が代行しているつもりなのか。それとも受信料を強制的に払わせていることへの罪滅ぼしのつもりか。関係がほとんどない者にとって耳障りと言うか、気分を害してしまう。
3つに、これは昨日の夜に聞いて驚いたのたが、気象庁の予報から7号が明らかに紀伊半島に上陸することがわかっているのに、それも潮岬の確率が非常に高いのに、アナの姉ちゃんが「上陸する恐れがある」と寝とぼけたことである。「命の危険」とどういう関係にあるのか。
2つ目と3つ目のちぐはぐさは、放送局が「責任を取りたくない」とのスタンスにあると考えれば、整合的に説明できる。
「命の危険がある、だから逃げろ」と叫んでおけば、たとえ崖崩れや洪水が生じ、死者が出たとしても、「だから叫んでおいたのに」と主張できる。
逆に「どこそこに上陸しそうだ」と報じれば、それが万が一にも外れた場合、「放送を聞いて休業したけど、外れたやん、休業して売上が減った分をどうしてくれる」「そこに旅行しようとしてたのに、上陸すると言われたので中止した、キャンセルした損害をどうしてくれる」と訴えられて時、放送局としては困ってしまう。少なくともあれやこれやと抗弁しなければならない。
という深謀遠慮があるのではないか。そんな先読みの能力があるのなら、もっと他の分野で使うべきなのだが、最近の日本の風潮としての「失敗を恐れる」病気に感染しているのだろう。

2023/08/15


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