川北英隆のブログ

バルカンに見る日本の平和

知人にバルカン半島の状況を知らせると、日本の地理的位置がいかに恵まれているのかを書いてきた。島国であり、かつ大陸と適当な距離を置いているとの事実である。
日本は言わずと知れた島国である。国境という概念に乏しい。大和とか武蔵とかの「何々の国」はあったものの、本当の意味での国境はなかった。
島国であり、かつイギリスのように大陸と非常に近いということもなかった。だから大陸からの攻撃を恐れることはあっただろうが、元寇を除き、それは恐れだけにとどまった。もっとも今は、ミサイルや飛行機があるから状況が一変している。
かといって、大陸から渡れないくらいに遠くはない。だから日本に文明が伝わった。それも中国だけでなく、インド、ペルシャ、ギリシャ、ローマなどの文明である。
大陸との戦争に巻き込まれることのない日本は、その文明を独自に育てたのである。というか、異国との戦争に備える必要がほぼないから、文明を育てる経済的余裕が生まれたと考えていい。
また知人は、「アイヌとかは別にして、日本には同じ民族という自覚があった」と書き、続けて「戦国時代でも農民は基本的に無関係だったし、戦によって敵兵が皆殺しされることもなかった」とする。要するに支配階級の争いだけがあり、それが日本の戦である。農民や商人はもちろん、下級武士を失うことも避けたのである。国土が焦土と化すことを回避してきたと言えるだろう。
多くの、それも大きくない国が乱立するヨーロッパとは何なのか。ましてやバルカン半島のように小さな国が乱立する状態とは何か。コソボのように空爆さえ行われた紛争とは何か。今もまたヒグマの王国が隣国に焦土戦を試みている。
卑近な例で国境の弊害を挙げておきたい。
北マケドニアからブルガリアに入る時、日本からの添乗員が語ったのは、4年前のことである。つまりコロナの前に同じ国境を越えようとしたところ、ツアーの運転手が国境係員から賄賂の要求を受け、その対応に苦労していたと。
僕も、西ドイツに併合されて間のない元東ドイツからチェコスロバキアへと友人の運転で入ろうとしたところ、パスポートに札を入れるのを忘れていたため(そんな慣習が日本から消えていたため)、国境を越えるのに時間がかかった。要するに黄金色に光る菓子折りが必要なようだった。
コンゴ(元ザイール)は町や村が実質的に1つの国である。このため、コンゴ川下りのツアーに参加した我々が川から町や村に上陸すると、現地の役人が目敏く近寄ってきて、我々の現地ガイドに賄賂を要求した。現地ガイドが要求額を値切るのだろう、何時間も交渉はザラだった。
これらは、賄賂をもらう者にとってはウハウハだろうが、国全体から見ると大きな損失である。物の流通が滞り、時間が浪費される。極端な場合(コンゴがそうだが)、「できれば二度と行きたくない地域」となる。
この点、EUの試みは支持されるだろう。国境はあっても、経済的にはないに等しい。国境は行政だけの役割に縮小している。だから物の流通が促進される。労働力もそうである。EUを離脱したイギリス経済が混乱しているのは、国境が経済活動の大きな障害になっている明証だろう。
と、話が飛躍した。バルカン半島を旅行して、日本が地理的にいかに恵まれているのか、1つの民族としての意識の強さがいかに平和をもたらしてきたのかを痛感する。もっとも民族意識が、逆に対外的には弊害になることも忘れてはならないのだが。

2023/08/29


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