川北英隆のブログ

日本における戦後の金利規制

依頼原稿を書くため、高度成長期の金利に対する規制を少し調べた。日本の金利が自由化に向かった背景の1つとして、国債の大量発行の開始がある。そこで、国債の市場価格の推移を調べ、比較的自由に価格形成されていた利付電々債と比較してみた。

図がそうである。
20230917日本の規制金利.jpg

1965年、戦後はじめて赤字国債が発行されたものの、その後の経済成長率が高かったため、74年までは建設国債(インフラ整備のための財源債)の発行に留まっていた。
それが75年、第一次石油危機に端を発した不況(正確には経済成長率の急激な低下)に対処すべく、政府は大量の赤字国債(税収などの歳入不足を補うための国債)の大量発行を開始した。
その後も赤字国債の発行が続いたため、それを引き受けた金融機関(正確には国債募集引受団=シンジケート団)に大きな負担がかかるようになり、国債を売却したいとの要望を高めた。このため、徐々に国債の流通市場が形成され、取引価格(国債利回り)の自由化が進んでいった。
日本の債券市場において、比較的発行規模が大きく、売買規制に乏しかったのが利付電々債(10年債が基本)である。これは日本電信電話公社が電話施設を整備するために発行した債券であ。53年1月から83年3月まで発行されていた。
図によれば、76年頃まで差が大きく(利付電々債の利回り水準が国債よりも高く)、また78年にも一時的に差が拡大している。利付電々債の発行は83年までであるため、データもそこまでしかなかった。
なお、78年に国債流通利回りが急上昇している局面は、いわゆるロクイチ国債(表面金利6.1%の国債)が暴落した時期に相当している。当時、ロクイチ国債については、「表面金利が低すぎた、だから暴落した」と揶揄されたものだ。今となれば、非常に高い金利なのだが。
もう少し言えば、このロクイチ国債の教訓が我々の世代には生き残っている。今の表面金利がほぼゼロの国債、いずれ大暴落するのではないかとの悪夢にうなされそうなのだが。

2023/09/17


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