川北英隆のブログ

子供にも笑われる国営放送

埼玉の友人Oから新年の挨拶がメールで届いた。4日だった。3日までは正月気分、御節とお屠蘇にしか目が行かず、手も動かなかったのだろう。当然、正月が実質的に明けた話題には、能登半島の地震があった。
能登半島の住民には申し訳ないながら、いろいろと考えさせられたらしい。
1つはスマホの地震警報に驚いたとか。これを読んで、「埼玉は関係が薄いのに、何でや」と思い、京都では何も警報がなかったことに気づいた。スマホの電源を普段は切っていることと、スイッチを入れている携帯は完全にガラ携の契約だからだろうか。
もう1つ、その警報に合わせてテレビのスイッチを入れたら、「NHKのお姉ちゃんが逃げろって絶叫を繰り返し」、それに対して中学生の子供が「こういう時の放送は冷静を心がけなあかんのに」と言うてたとか。国営放送は子供にも諭された。
友人の感想として「NHKは受信料を正当化するためか、災害時の放送に張り切り過ぎや」と。張り切っているのかどうかはともかく、正確な情報を伝えることが放送の本来の役割だと理解していないのだろう。今の絶叫調を突き詰めると、戦争になった時に「大本営発表」との精神論に行き着いてしまう。
さらにもう1つ、やはり首都圏の地震を心配していた。たくさんの難民が出て、埼玉県に逃げ込むのではないかと。政府は被害の想定を示すばかりで、抜本的な対策を示そうとしないとも。対策とは、結局は分散を図ることに尽きる。
今の日本、首都圏を大地震が襲ったら壊滅的な被害を受ける。それに対する復興財源が払底気味である。すると、日本売りが怒涛のごとく押し寄せる。津波の比ではないだろう。円が徹底的に安くなり、ますます復興財源を食いつぶす。このような悪循環に陥ってしまうのが落ちだ。
楽観的に考えれば、このような未曾有の危機に直面すると、日本は底力を発揮する。第二次世界大戦の敗北から80年近く経った。誰もが当時の敗北感を忘れている。当然、僕も知らないながら、子供の頃の貧乏だけは知っている。
もう一度、経済的な敗戦を経験しないと、日本の政治の刹那主義、目先の利益主義は治らないのだろうか。

2024/01/08


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