川北英隆のブログ

学文字山へ

南海多奈川線の深日町駅で降りた。多奈川線は元をただすと近鉄だったとか。鉄ちゃんではないので(その証拠に終点の多奈川まで乗らなかった)、知らなかった。その一方で深日の地名は知っていた。子供の頃、海水浴か何かで来たのかもしれない。
駅には何もないながら、ICカードには対応している。改札を出て南へ歩く。町中がややこしいので、地図を見つつ左手に上がる。学文字(がくもんじ)山からの稜線の末端上に出ると宝樹寺の鐘楼が見えた。
学文字山の名前の由来は不明ながら、三十六歌仙に入る藤原源蔵清正の住まいが近くにあり、そのつながりで学文字と呼ばれているとか。かつて大阪と和歌山の間は往来が多かったのだろう。
学文字山はハイキングコースになっていて、不十分ながら道標がある。その道標の1つに従って舗装道を山へと上がっていく。舗装道は水道施設(タンク)まで続く。
タンクの手前で右に折れ、山道を上がる。すぐに太陽光発電施設の横に出る。もう少し登れば白雲台と呼ばれる小ピークである。送電塔がある。この付近から左手奥に学文字山が周囲よりも高く見え始める。右手には深日の港も見える。
コースの最初は周りの木々の背が低いが、やがて高くなり、ウバメガシも登場する。コースが稜線の左(北)を巻き始める。イノシシが道を掘り返しているため、稜線をトラバース気味に歩くのは少し疲れる。
稜線上にあるピークの下を過ぎたかなと思うと、分岐があった。右に上がると縦走路の続きである。学文字山へは分岐を直進する。縦走路からの寄り道となる。少し登ると展望台だった。212mの独立標高点のピークであり、南学文字山とも呼ばれている。
その先で緩く下り、登り直すと学文字山の山頂だった。216mあるらしい。三角点はないが、大きなウバメガシに覆われた気持ちのいい山頂である。北側が切り開かれていて深日が見えた。
上の写真は学文字山の山頂である。下は登りに見た学文字山(左のピーク)で、大きく丸い。右の小さなピークとの鞍部付近に寄り道のための分岐がある。
追記:南海と近鉄の関係について、読者から正確でないとメールが来た。調べると、終戦間際の1944年、南海と関西急行(今の近鉄)が合併し、47年に分離したとか。
20240129学文字山山頂.jpg

20240129学文字山を.jpg

2024/01/29


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