
道を間違うか迷うことは危険につながる。地図をしっかりと見ること、正しい道かどうか常に判断していくことが先決である。今はスマホとGPSがあるので、大きく間違うとすぐにわかる。しかし、それに頼っていると「動物としての感覚」が失われていく。
先日の芦ノ湖外輪山での道迷いの直接的な原因は「変なハイキングコースの付け方」にあった。それと「先行者の判断を正しいと信じて歩くこと」にもあった。とはいえGPSを見て、「おかしい」と思った。GPSが時々変な方向に振れるので、歩きながらしばらく観察していたが、どんどん正しいルートとのズレが広がるので、間違ったと判断した。
普段使っているヤマレコのデジタル地図には足跡がプロットしてある。人気のコースではその足跡が多すぎ、邪魔になる。地形が足跡で隠されてしまうから。そこで予備用にダウンロードしているジオグラフィカ(足跡がない)を開くことに普通はなるのだが、芦ノ湖は「簡単なコース」と思っていたので開かなかった。これも敗因の1つだろう。
芦ノ湖から離れ、では迷った時にどうすればいいのか。
元に戻り、正しいルートを目指すのが一番である。とは思いつつも、藪山で道を誤り、別の尾根に入ったと思ったときに、僕の場合は斜面をトラバースして正しい尾根を目指すことが多い。経験からすると、このトラバースがなかなか大変である。やはり間違った地点に戻るのが正しいと反省しているのだが・・。
下山などで間違った場合、近道だと判断して谷を下ってはいけない。万が一、下ろうと思うのなら、谷の等高線の間隔が広いことを確認すべきである。等高線の間隔が狭いのなら、多くの場合、谷に崖が潜み、岩もゴロゴロしているだろう。
今まで山で道がわからなくなり、それが記憶として鮮明に残っているのは2つある。
1つは台高山系の薊岳である。10月、卒業前にと大学時代の珍友Oを誘って午後から登った。前年に登っていることと、ピークの先の小屋泊まりなので遅く出たのだが、その分だけ気合が入っていなかったのだろう、夕方、薊岳を越えた地点で道を見失った。「野宿かな、寒いだろうな」と覚悟しつつあった時、望に近い月が昇り、稜線の笹原が一面に照らし出されて道が判明した。もちろん懐中電灯は持っていたのだが、その程度では深い笹原の中の道が浮かび上がらなかったことになる。
もう1つは武尊山である。5月、確か沼田の駅で夜を過ごし、早朝のバスを待って単独で縦走したのだが、北斜面に雪が残っていて、道が不鮮明だった。アイゼンを持参していなかった。北の尾根を下山する時、トラバースするのが手っ取り早い箇所があった。谷は浅く、滑り落ちても途中で止まることを確認してトラバースを始めたが、案の定、滑った。幸い、谷から本来のルートを目指して歩くと、すぐに道が見つかった。谷筋にムラサキケマンがたくさん咲いていたのを思い出す。
「準備は万端に、いつも注意深く」が教訓だろうか。
2025/11/24