川北英隆のブログ

山での危険・ヒト

最後に登場するのが山での「怖さ」の本命、ヒトである。どこが何で怖いのか。山の上でヒトと会っても怖いとは思わない。多くの場合、怖いのは登山口近くである。かつての街道での山賊みたいなものと表現すれば理解してもらえるか。
子供の頃に大好きで、大学時代だったに読み直した西遊記に登場する妖怪や魔王も、そんな山と人里との境界に出没する。そのイメージが残っているのかもしれない。
要するに人気が少ない一方、比較的容易に近づける場所であり、そんな場所で出会うヒトである。何故怖いのか。そんな場所なら獲物の候補がいる上に、相手としても山登りをせずとも入り込める。
だから、登り始めにヒトと出会うのは好きでない。「悪者かもしれない」と思うからである。同様に、山小屋で相部屋になる時、知らない相手との1対1は緊張する。
そんな1対1の経験が2回あった。
1回は斜里岳である。登山口の山小屋で泊まった時、無人だったのか、管理者と宿泊者の部屋が分かれていたのかは忘れたが、広い小屋で見知らぬヒト(男)と1対1になった。車で来られる小屋だけに少し緊張した。とはいいつつすぐに寝てしまった上に、記憶に薄いのだが、下山時に小屋を過ぎて駅へと林道を歩いていると、そのヒトの車が止まり、駅まで乗らないかと言ってくれた。もちろん乗せてもらった。誘拐されることもないだろうし。
もう1回は北アルプスの犬ヶ岳、栂海山荘(無人小屋)である。9月だったか、海抜ゼロmから1592mの犬ヶ岳山頂まで、アップダウンを繰り返しながら歩いてきたものだから小屋の裏で汗を拭っていると、ヒト(男性)が登ってきた。こちらの方は、「こんな辺鄙な場所に山賊は来ない」と安心して小屋で寝た。考えてみると、それが女性だったら怖かったかもしれないのだが。
小屋といえば、「道迷い」で登場した薊岳の先、主稜線上の国見山の小屋だったと記憶するが、怖かったことがある。友人と2人で泊まっていると、寝入りばな、懐中電灯を照らしながら小屋の外を歩くヒトがいた。小屋の持ち主なのか登山者なのかは不明だったが、息を殺していた。
そういえば登山ツアーでの相部屋にも思い出がある。その後、一緒に旅行をしたり連絡をとったりする相手が複数人いる一方、普通ではない経験をした相手もいる。
それはポルトガル(アゾレス諸島)の山登りツアーだった。相部屋の相手が他のツアー客と喧嘩をしてしまい、帰りの経由地、リスボンでの夕食を他のメンバーと一緒に食べたくないと言い張った。添乗員は1人だったから、相部屋の相手だけをほったらかしてリスボンの町を歩かせるわけにいかない。仕方ないので、その相部屋の相手と一緒にリスボンを観光散策し、たまたま持参していたガイドブックに掲載されていた魚料理の店で夕食を食べた。その料理は美味かったのだが、いきなりリスボンの案内役には懲りた。それ以降、ツアー旅行は1人部屋を原則としている。

2025/11/24


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