
年齢のせいか、いろんなことを腹立たしく思い、心配する。その最たるものは「自分で考えない、そんなの無用」という風潮だろう。
スマホ歩きが典型である。周りが避けてくれるという、他人任せの典型である。最近は階段でもスマホを見て歩いている。「階段を踏み外したらどうなる」なんて考えていない。自分自身が怪我をする程度なら自業自得、どうでもいい話だが、階段落ちで他人を巻き込んだらどうなるのか。そんなこと、これっぽっちもスマホ歩きの兄ちゃんや姉ちゃんは考えていない。
最近では道路を曲がるのに方向指示器を出さない車が増えている。さすがに大きな交差点では見かけないが、小さな交差点ではよくある。このため、歩いていると車を睨みつけてしまう。安心のためである。ついでにスマホで動画を撮り、警察に届けようかと思う。
これはスマホ歩きと同じ現象で、自分の行動が周りにどのように影響するのか、少しも考えていない証拠である。周りが適当に判断してくれると思っているのだろう。やはり他人任せでしかない。
何回か書いたが、僕はスマホ歩きを無視して、つまり向こうから幻が来ると思って歩いている。先日なんか、若い女性の肩と思いっきりぶつかった。姉ちゃん、ぶつかる数秒前に僕に気づいたのだが、反応に迷いがあり、僕を避けきれなかった。
数日前、証券投資に関する研究会があり、どのような情報に基づいて投資しているのかのアンケート調査結果が示された。日本は知人やSNSの情報が多いらしい。
もちろんSNS情報を全否定はしないが、その情報が何を根拠にしているのか探っていくと、特定のインフルエンサーの情報だという可能性がある。そうであるなら、結局は群れることになり、全員が動いているボールを追いかけてしまう下手なサッカーに陥る。「アホやん」でしかないし、バブルの元である。さらにいえば風説の流布、つまりフェイクニュースに引っ掛かってしまう。
もちろん他人のからの情報が重要なこともある。とはいえ最終的には自分で考えないといけない。人工知能(AI)の時代になると、情報量が爆発的に増える。とはいえ、ニセ情報も混じってしまう。そこで最後は自分で判断したうえで、行動しなければならない。
逆にすべてをAIに任せると、それはAIの奴隷になるに等しい。「生きる値打ちなし」だろう。このように考えると、スマホ歩きもまた、スマホの奴隷だと思えて仕方ない。
2026/03/12