川北英隆のブログ

真夜中の電話

最近、一番怖いのが真夜中の電話である。ジリリと電話が鳴ると、はっとして起きる。間違い電話が大半で、腹が立つ。間違いだとわかった瞬間にブチッと切られると、怒り心頭に達する。
何故怖いのか、我々と同年代なら理解できると思うが、両親がそれなりの年齢に達しているからだ。訃報でたたき起こされるなんて最低に近い。両親を含め、親戚の誰かが亡くなるのは仕方ないと普段は思っているのだが。
実際、真夜中の電話が本当の電話で、家内の父親が亡くなったとの知らせが入ったのは4年前の今頃だった。寝ぼけ眼で家内が支度をし、タクシーで大阪まで駆けつけた。それでも忘れ物があった。
先日、南アフリカの最北部で宿泊していると、夜中に携帯が鳴った。実は、その前日も、明け方だったと思うが、日本の某所から電話があった。そこで、昨日の続きかと思ったが、携帯の表示を見ると、滅多に電話のない妹からだった。急いで接続しようとしたが、切れてしまった。切れた瞬間の判断は、両親のどちらか(もしくは両方)に何かがと思った。とはいうものの、そんなことを想定していなかったので、日本への電話のかけ方がよくわからない(実のところ簡単だったが)。そうこうして時間が少し経過したが、妹からの再度の電話がない。「ない」ということは大したこっちゃないのかなと思ったが、ようやく電話のかけ方がわかったので、念のために電話してみた。返答は、「電話してへんで」という。「嘘や」というところだが、「まあ良かった」と納得した。
でも、遠い外国で訃報に接すればどうするのだろうか。つい先日、同僚がベトナムで母親の訃報に接したようだ。その対応はというと、どうも葬儀を数日延期し、その間に帰国したようだ。まあそれがせいぜいだろう。こちらは僻地に行くこともあるので、数日の延期で間に合わないかもしれない。その場合は諦めてもらうしかないのだろうと思う。

2010/10/02


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