川北英隆のブログ

東京の地震・続報

18時頃、会合に出掛けた。地下鉄というかすべての鉄道が動いていないから、歩いて会場に行くことにした。多分、今日は流れだなと思いながらも。
道路は大混雑だった。歩道は、会社の近くに住んでいて帰る人、それもヘルメットをかぶった人、バスに並ぶ人であふれていた。道路は自動車でいっぱいだった。そもそも、ビルから外に出る時、エレベーターが動いていなかったから、階段を歩かないといけない。「ええトレーニングやん」というところだが、普段、そんなとこを上下しないから「非常時」を感じる。
会場は著名かつ大きなビルで、事務所とホテルを兼ねているが、そもそも2つのビルを継ぎ合わせてあるらしく、その継ぎ目部分の天井と床が落ちていた。地震の被害を見るのは初めてだった。また、階段を歩いているとき(9階まで歩いたが、久し振りの階段上がりなのでなかなかのものだった) 「東京タワーの先端が曲がった」という噂話も耳にした(本当らしい)。都内を流れる川も、いつもは水がよどんでいるのに、今日はかなり早く流れていた。津波の影響だろう。
今回の地震で感じたことは、水、食料、懐中電灯(できれば電池の長持ちするLEDのもの)、寝袋、できれば燃料が必要だということである。最低限の衣食住を確保しなければならない。我田引水的に言えば、山の用品一式が望ましい。
教訓は、車は役に立たないことが第一である。東京は震源から遠かったのに、道路は車であふれていた。ビルのエレベーターは停止したまま、多分エレベーターは管理会社の点検待ちになったのだろうが、なかなか復旧しない。だから、階段を上り下りできる体力も求められる。第二に、非常時の帰宅経路をしっかり暗記しておくか、退避場所を確保しておく必要がある。地図をプリントアウトしたり、携帯のGPSを見たりして歩いているのが多かった。「そんなんで帰れるんかいな」というとこだ。最悪はiPadというのもいた。「その重さで手がすぐに疲れるやん」と思う。自宅への経路くらい、頭の中を検索すれば済むようにしたいものだ。
でも、平和な国である。帰れない人のためにボランティアでレストランが退避所になっていたり、大きなビルのフロントに人が溜まっていたりする。
我々3人も、会場のレストランのガスが止まったままであり、食事を出せないということだったため、近くの新しいビルの(もう少し正確には某有名国立大学の会館の)フレンチレストランで食べることにした。ワインを飲んで、水準に達したフランス料理を食べて、優雅に地震談義をしていた。
そうしていたところ、一部地下鉄が動き始めた。そのアナウンスを聞き、食事も終わったので、解散した。私はといえば、帰りも地下鉄が動いていなかったので、再び歩いて帰った。さすがに人通りは少なくなっていた。
万歩計なんて使ったことないが、十分な運動のできた一日だった。東京も満足な地震経験ができただろう。
追記:4/21に読み返してみた。会場レストランに集まったのが3人、その3人がっ格で夕食を兼ねた飲み会をした話だが、突如「3人」が登場するという慌てざまを暴露した文章になっている。

2011/03/11


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