川北英隆のブログ

吉備津神社と桃太郎と御釜

実はこれまで、岡山で観光らしい観光をしたことがない。はるか昔、秋吉台に行く途中、後楽園に寄った程度か。そこで今回の岡山大学訪問の翌日、帰りがてら、有名な吉備津神社を見学した。
吉備津神社とは何じゃいと思ったのなら、少し勉強した方がいいかも、なんて。それはともかく、本殿は非常に立派だったし、御釜殿には感動した。御釜殿といっても、ニューハーフの殿堂ではない。ニューハーフの殿堂は現在の放送局だし。
御釜殿の関連だけなら上田秋成の雨月物語に登場する。「吉備津の釜」である。確か高校の時、古文の教科書にその一部が載っていた。いつしか、そこに登場する吉備津神社の御釜が実在するのを知って、実物を見てみたいものだと思っていた。さらに吉備津神社が岡山にあることもいつしか知っていたので、今回は「是非」ということで訪れたわけだ。考えてみれば、吉備団子の吉備の国にあり、かつ昔は海(瀬戸内海)が近かったので、吉備津神社という名になった(その逆かも)という単純な話かもしれない。
その吉備津神社の御釜が桃太郎と関係があると知ったのは、新幹線のグリーン車に備えられている「ひととき」を読んでのことだ。吉備津の近くに鬼ノ城(きのじょう)山があり、その山にある城に温羅(うら)というと百済からの渡来人(=鬼)が住み、製鉄を伝えたと言う。それを平定するため大和朝廷が差し向けたのが吉備津彦命(きびつひこのみこと)とされている。この命が桃太郎というわけだ。
実際、鬼ノ城山には朝鮮式の山城の跡が見つかっている。近くは製鉄の跡もあるらしい。釜も鉄製であれば話が合う。
それで吉備津神社の御釜の起源である。御釜は鳴釜神事に使われる。実際に神事を見たわけではないが、「釜の上に蒸篭(せいろ)を置いてその中にお米を入れ、蓋を乗せた状態で釜を焚いた時に鳴る音の強弱・長短等で吉凶を占う神事」(Wikipedia)とある。この占いは、吉備津彦命の刎ねた温羅の首が唸り続けるので困っていたところ、「ある日温羅が(吉備津彦命の)夢に現れ、温羅の妻である阿曽郷(現在の岡山県総社市阿曽地域)の祝(ほふり)の娘である阿曽媛に(御釜で)神饌を炊かしめれば、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、吉凶を告げよう」(Wikipedia)と言い、これに起源があるという。
その御釜が御釜殿に鎮座し、毎朝薪で焚かれている。昔はずっと火を燃やしたままだったそうだが、現在は御釜殿が重要文化財に指定されていることから、夜は種火を残して消すらしい。今日の神事もなかなか大変である。鬼が笑っているかもしれない。鬼の笑いは、吉凶で言えばどちらなのだろうか。

2013/01/28


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