川北英隆のブログ

事業と人間の栄枯盛衰

叔父(川北憲夫)の死去に際して最後に思うのは、栄枯盛衰である。実は父親は戦後に始めた事業を拡張するため、若い叔父の力を借りた。高度成長期の中盤である。でも、成功しなかった。
父親の元々の事業は、郡山の主要産業だったメリヤス製品向け紙容器の製造である。ニチボー(大日本紡績、今のユニチカ)の工場が国鉄郡山の駅前にあり、その関係で郡山にメリヤス会社が多数あった。戦友がメリヤス会社を経営していたので、父親はその縁故で事業を起こした。昭和30年過ぎには成功していたと思う。そのおかげで僕ら兄妹が大きくなったようなものだ。
しかし、メリヤスは昭和40年頃にピークを迎えたと思う(正確に調べてないが)。売上を伸ばそうと、その少し前に父親は段ボール事業を開始し、その片腕として叔父の参加を得た(段ボールは叔父の提案だったかもしれない)。
とはいえ、段ボール事業は大手の牙城であり、大量の資本を投下しないと競争にならなかった。昭和45年より前だったと思うが、父親は段ボールから撤退、叔父も辞めた。その後、郡山のメリヤス産業は目に見えて衰退し、父親の事業も衰退した。昭和50年代に入ると完全に年寄り(といっても60歳前)の父親の片手間仕事となってしまった。結果として、段ボールに深入りしていると泥沼だっただろうから、撤退したのは正解なのだが。
叔父の家族とかなり親しかったのは、段ボール事業があったからである。もちろん、段ボール事業から撤退後は互いの行き来が乏しくなった。また、フクお婆さんもいつしか亡くなった。それが何年だったか忘れたが、僕が就職後、東京勤務になってからであり、弔電を打ったように記憶している。
叔父さんは20年近く前、胃の手術をした。今回の死因は、その手術の跡が癒着していて、それが原因で腸閉塞を起こしたとのこと。前日から具合が悪かったらしく、病院に行ったとか。しかし、薬をもらっただけ。夜中に急に悪化し、救急車を呼んだものの、運ばれる途中で心停止状態に近くなったらしい。亡くなったのは病院でとのこと。
カミさん側の義兄も腸閉塞で亡くなっている。年齢とともに腸の働きが弱るのだろう。これも栄枯盛衰、くれぐれも注意を・・とは僕自身のことか。

2014/05/27


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