川北英隆のブログ

株高を煽ることの罪とは

2/24に書いたが、もう一度株価と新聞記事に関してコメントしておく。そして、新聞とはその日のことしか書かないから、また記者が投資のプロだとは言えないから、あまり信じてはいけないとも。
記者には知り合いが何人もいる。記者と話をするのは好きである。とくに、ギブ・アンド・テイクで情報を(インサイダー情報ではないが)くれる記者と会えば、今日は楽しい一日だったと思えてくる。だから、記者に対する悪意は皆無なものの、最近の日経新聞の見出しは少し度が過ぎるのではないかと思う。気分が悪くなることもある。
たとえば、3/4の「株、続落も「待望の買い場」 一段高への助走の声」とか3/11(今日)の「NY株大幅安でも下げない日本株、買い需要根強く」という見出しである。
今はないのだろうが(ざっとネットを見たかぎり見当たらなかったが)、かつての株式新聞の見出しを彷彿とさせる。要するに、「今、買わないでどうするんや、男やないやろ(差別的表現だが、女性相場師のことはあまり聞かないので、堪忍や)」という乗りである。
僕が証券関係の部署にいたのは1979年から88年である。その頃、夕方になると特定の証券会社がサービスで株式新聞(2種類あった)を持ってきた。それが調査部門にも配られたので、ぱらっと眺めたものだ。上がった日には「明日はもっと上がる」、下がった日には「たまたま下がっただけ」という論調で見出しも、記事も書かれていた。「すごいねえ、筆が立つねえ」である。
毎日、そんな論調で記事を書いてどうするのか。80年代後半に素人大投資家(企業の財テク資金)が参入して株高が煽られ、プロだったはずの機関投資家もそれに乗せられ、ついに90年代入ってにそのバブルが崩壊した。多くの責任とまでは言わないものの、マスコミにも罪の一端があろう。
今日もそれに似ていないのか。公的年金という、ある意味で素人の集団が(プロも混じってはいるのだろうが、長期資金の投資に長けているとはどうしても思えない集団が)「株式、もっと買わなきゃ」と日本市場に資金を投じようとしている(そうさせられているのかな)。それを見越して先買いする投資家がいる。これら、80年代後半と似た面がある。
株価は、上がる日もあれば下がる日もある。また、経済の実態から離れることはできない。そして、日本経済は自律的できてはおらず、アメリカに大きく左右されている。中長期的には、需給で株価が決まるものではない。これらのことをしっかり頭に入れて投資に臨むべきである。新聞もまた、この事実を踏まえ、淡々と書くべきだと思う。それが良識(あまり好きな用語ではないが)というものだろう。

2015/03/11


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