川北英隆のブログ

松本紘元京大総長の私の履歴書

先月の日経「私の履歴書」は松本紘・元京都大学総長だった。月初、カナリア諸島に旅行していたから、連載を知らなかった。家内から、日経の最終面に大和郡山市が複数登場していたと聞き、ひょっとしてと思った。
1つは「私の履歴書」であり、もう1つは金魚すくいのことだった。
松本さんが同郷だとは知っていた。小学校から大学までの大先輩であることも知っていた。そう知ったのは、もちろん松本さんが総長になってからであり、多分数年前だったと思う。
1942年生まれだそうだから、8年上である。このくらい年齢が離れていると、同じ学校であったにしても知るよしもない。それと、私の履歴書を読んで、中学校だけは別だったことも知った。松本さんは郡中(ぐんちゅう、郡山中学校)だった。
履歴書の内容について感想を求められることが数回あった。思うに、松本さんの性格がよく表現されていると思っている。
3年間、僕が大学の理事補として本部の会議に出席した時の印象からすると、松本さんは几帳面であり、知り合いや部下に対する気遣いが人一倍だと思っている。一方で負けん気も人一倍である。それも完璧主義に近いと思っている。少なくとも、いい加減に妥協する人間からすると、完璧に見える。
だから、私の履歴書には一緒に働いた者の名や役職がさり気なくちりばめられている。紙面の最後に近く、感謝の念が「理事補」という役職にまで向けられていたのには驚いた。
同時に、履歴書には「負けた」事実が出てこなかった(数えていたわけでないので、1回位あったかもしれないが)。大学改革の一環として、最後の最後に、松本さんは学内の規定で認められていなかった「総長の再任」を可能にしようと働きかけた。6年間が限度だった任期を延長することで、自分が推し進めてきた改革を仕上げたいと意図したのだろう。しかし、非常に強い反対があり、実現しなかった。
そのことへの言及がなかったのは、やはり松本さんの性格だと思っている。もしくは新しく就いた理研の理事長として改革に再び情熱を燃やしていて、振り返っても所詮仕方ない過去のことを忘れたのかもしれない。

2015/07/02


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