川北英隆のブログ

セブン&アイに何が生じたのか

鈴木会長退任劇に関して特別な情報を持っているわけではない。以下、創業者の力が残っている企業、それも大企業にありがちな問題点を書いておく。仮説として、セブン&アイもその轍を踏んだ。
創業者が一代で大企業を築いた場合、どうしてもその影響力が残る。消えたように見えていても、背後霊みたいにというか、カリスマ性の伝説というか、そういう具合に創業家は当分生き残っている。
鈴木氏は大番頭として7-11を立ち上げ、ヨーカ堂グループを牽引してきた。その実力を買われたからだろう、鈴木氏が目立ち、カリスマ的になった一方で、この10年間以上、創業家の影がすっかり薄れていた。
とはいえ最近では、創業時の主力事業であったスーパーの赤字処理が、セブン&アイの大問題として浮かび上がってきていた。横からは、藪から棒というべきか、アクティビストと称する海外株主のちゃちゃも入っていた。
この問題が創業家の背後霊を呼び覚ませてしまったと、僕は推測している(仮説を立てている)。多分、この推測、多かれ少なかれ合っているだろう。セブン&アイにとって、スーパーは創業者が思い入れる事業である。さらに言えば、コンビニ事業がちまちました店舗の集まりであり、地味なのに対して、スーパーには華々しさがある。そんなスーパーの縮小、撤退をめぐり、創業家と鈴木氏の確執が生じたのではないだろうか。
もう1つはカリスマ的経営者の後継問題である。
カリスマ的経営が成り立つのは多くの場合、企業規模が大きくならない以前である。規模が大きくなってしまうと、独断的な意思決定が難しくなる。また、カリスマ経営者自身、頭がぼけたときにどうするのか(その前に、ぼけたとの判定をどうするのかがより重要だろうが)、しっかりと考え、対策を講じておかなければならない。
それとともにカリスマ経営者は、価値観や行動の多様性に関して寛容になる必要もある。成功者はどうしても若い世代を見下してしまう。「ほんまやったらこうすべき」と思ってしまう。ここから若い者に対する不満が鬱積する。その不満を抑えつつ、後継者を育て、客観的に能力を見極めることが重要だろう。同時に、(力に乏しい)複数が寄り集まって力を発揮すること(すなわち合議制)の良さも認めなければならない。
後継者に関して付け加えれば、日本社会の不幸がセブン&アイにも災いしたように思える。日本社会の不幸とは、経営者の市場がないことである。本当のところ、内部に人材がいなければ、外部からスカウトすればいい。この世界の常識が日本にはない。少しずつ経営者市場ができてきたようにも思うが、まだまだ十分に機能していない。
ついでに書くと、海外のアクティビストはどれだけ日本市場のことを知っているのか。どれだけ日本企業に関するプロなのか。今回の経営介入は、セブン&アイを混乱させた分だけマイナスではなかったのか。そんな疑問もある。
また、社外取締役の機能に関して、鈴木氏の提案した7-11の社長交代人事に「反対票を投じたことから判断して、機能した」との評価が正しいのか、これも問われなければならない。多分、偏った見方でしかないだろう。これも推測だが、創業者側と社外取締役との接触があったように思えてならない。そうでなければ、簡単に反対票を投じるはずがない。
以上、週刊誌がいくつかの仮説の当否を立証してくれるに違いないと思っている。

2016/04/08


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