川北英隆のブログ

パジェロとレオの栄光を追記

三菱自動車のパジェロとレオで思い出したことがある。当時の三菱自動車の華やかなりし時代を語るのにふさわしい記憶だと思うので、書いておきたい。
最初に思い出したのはレオのことである。同窓会で、奈良新聞関係の仕事をしていたのが、「城山のことを調べていたら、川北のブログが検索で出てきてびっくりした」と話しかけてきた。2014年5月10日のブログである。
当時、城山について何を書いたのか調べてみると、そこにレオが登場していた。
そう、父親がレオを運転して山歩きに出かけた。一緒だったのは僕と妹である。軽三輪自動車のレオが通れるかどうかの細い山道だったわけだ。そこで山の記録を調べると、1964年5月とある。
レオの発売された年について、前回のブログでは間違えていた。正しくは1959年である(1964年ではない)。城山に登ったのは中学校になってからだった。父親が三菱重工(当時は新三菱重工)の株式を持っていたので、そこの自動車を買ったのではないかと思う。
次に、研究所時代の同僚、M君のパジェロで最初に森林調査に行ったのは富士山の裾野でのニッセイの森だったと思う。当時の社長、伊藤助成さんの発案でニッセイは植樹運動をしていた。その象徴が日本一の山での植樹である。森林の調査をしているからには一度は参加しないといけないというので、M君と参加した。その帰り、丹沢に寄ったと記憶している。
以上、三菱自動車の栄光である。こう書くと、追悼のようにも思えてしまうが。

2016/04/26


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