川北英隆のブログ

メモリー技術とAIのこと-2

AIが人間に取って代わるのだろうか。囲碁世界の頂点にAIが思いがけず君臨したことから、AIへの流れが急展開した。同時に、AIへの警戒感が生じている。
人間の記憶の媒体としての紙が、メモリーに急速に置き換わっている。メモリーにデータが大量に蓄えられれば、記憶量と、その記憶に基づく意思決定正確性においてAIが全人類を追い越すことになる。カーツワイルによってシンギュラリティ(singularity)と指摘されている。
メモリーに蓄えられたデータは、クラウドで処理される(誰もが何気なく使っているGmailもクラウドであり、データの蓄積と処理が集中的に行われ、個々人のパソコンやスマホは単純な端末と化しつつある)。そのクラウドがAIの代表的な存在であり、今以上に賢くなれば、いわば人間の頭脳と対等以上になりうる。
このようなAIに対して、大きく分ければ2つの考え方がある。1つは敵対的な関係の想定である。AIが人間を支配するかもしれないとの恐れでもある。もう1つは、人間を助けてくれるのではとの期待である。人間が体外に頭脳を持つに等しい。
小池氏の講演では鉄人28号が登場した。鉄人28号を操縦できるリモコンを誰が持つかによって、鉄人28号は正義の味方になったり、悪魔の手先になったりする。鉄腕アトムも登場した。アトムは人間のように心を持っている(そうだったと思う)。小池氏は、人間がAIをどのように使うのかが大切、むしろ体外にある頭脳として、協調すればいいと主張していたように思う。
1980年以降の生まれには理解できないだろうが、90年前後から仕事の方法が急激に変わった。ワープロが出現して文章の書き方が変わった。パソコンが普及し、分析や資料の作り方が変わった。便利になり、分析などは画期的に進歩したといえる。もっとも、上司の無理難題がまかり通るようになった。無駄な資料も多くなり、無駄な議論を平気でできるようになったと思う。
AIは使いようである。上司の無理難題をあっという間に処理してくれるかもしれない。しかし、そんなことを繰り返していると、AIが「こいつ、ほんまにアホやな」と判断して、命令を聞かないことから始まり、いずれ抹殺計画を企てるかもしれない。
このAI、誰しもがじっくりと考えてみなければならないテーマだろう。

2017/03/18


トップへ戻る