川北英隆のブログ

日本の形式主義と悲劇

複数の某大手企業の会議で笑ってしまったことがある。それは、日本企業もそうだし役所もだが、あまりにも形式主義であり、その形式を無批判に守るために、自分で考えることが欠落し、結果として大きな漏れがありえる。発展がない。
1つは切実である。多くの大企業の社員が、上司を強く意識して仕事をしている事実である。
上司の命令に背いて仕事をせよとは言わない。しかし、上司の命令が間違っている(合理的でない)ことも十分にある。とすれば、「正しくないのでは」と思ったのなら、議論しなければならない。
さらには、法令に違反している可能性だってありうる。加えて、上司が確信犯だと思ったのなら、議論しても仕方ない。社内の内部通報システムが整えられてきたから、そこに情報を入れることが肝要になる。
法令違反の好例として、著名企業に粉飾決算紛いの事件が連発生していることを指摘しておきたい。上司一人だけで、命令から実行から会計処理まで完結できるわけがない。とすれば、何人かの部下が無批判に上司命令に従い、企業を窮地に陥らせたことになる。
もう1つは、こちらはお笑いの例である。コンビニで酒やタバコをと思うと、レジの端末に年齢確認ボタンが表示され、それを押さないと買わせてもらえない。先日、地方の、コンビニに毛が生えた程度のスーパーでビールを買ったが、そのレジの端末には年齢確認ボタンがなかった。大手コンビニとの資本力の差で、新しいレジの導入が遅れているだけなのかもしれない。
考えれば、明らかな爺さんや婆さんにも年齢確認ボタンを押させるのは、本人にとってはふざけているし、外部者からするとお笑いである。
レジの兄ちゃんや姉ちゃんが、まじめに客の顔を見ているとも思えない。単なるアリバイ作りに成り下がっている。小学生はともかく、中学生くらいが私服で酒を買ったら、どう事態が展開するのか興味がある。
海外では日本人が、よくIDカードやパスポートの提示を求められるらしい(何人かから、その体験談を聞いた)。外人からすると幼く見えるのだろう。
その日本にIDカードはない。日本の行政の不備である。その不備をレジボタンの一律タッチでカバーさせようとしているのか。こう考えれば、コンビニの年齢確認ボタンは悲喜劇である。
日本の形式主義はマニュアル主義と同根である。マニュアルとは過去の事例からの集大成でしかない。未来を見ていない。未来を見ないと企業や社会の発展がない。こう考えれば、今の日本社会は悲喜劇ではなく、悲劇そのものである。

2017/07/25


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