川北英隆のブログ

現金崇拝の原因は政府にあり

アメリカの学者が1万円札を廃止したらと提案しているとか。現金は社会的無駄であり、グレーな世界を広げる。それらをなくすには高額紙幣を廃止するにかぎるとか。でも、この案はトカゲの尻尾切り的な発想であり、根本的な解決にはならない。
昨年の猫の日(222)に書いたように、また、何回かちらっと書いてきたように、日本が現金払いの大国である大きな理由は税制にある。クロヨンとかトーゴーサンの世界の広がりである。これを改めないことには、何も始まらない。
日本の税当局は認めていない(認めたがらない)のだが、所得の捕捉率の点で、サラリーマンと自営業者や農家では差がある。宗教法人は無税の世界にいる。クロヨン(9 6 4)とかトーゴーサン(10 5 3)は、サラリーマン、自営業者、農水業の所得に対する捕捉率(割合)として、世間が揶揄する数字である。政治家を含めてトーゴーサンピン(10 5 3 1)というのもあるとか。
政治と行政は、「声の大きい」これらの職種に配慮して(強要され)、所得の捕捉率に差があることを認めていない。悪い奴は税務調査で摘発していると、当局は言い続けている。
「でも、まあ」と思うことがある。長野は善光寺界隈を歩いたとき、寺院関係者の住居とおぼしき辺りの車庫や家の前に並ぶ自家用車(建前は商用車、ではない仏用車?)が、ベンツ一色だったことである。
時々書くように、京都ではカード払いできない飲食店が多い。経験から類推するに、収入を捕捉されないためだろう。ついでに書くと、京都のちょっとした飲食店は寺社関係者が上得意である。寺社関係者が、仲間内を目当てに経営している飲食店もある(僕も知らずに使っていた)。
僕は、金銭的なプライバシーなんて不必要、消費税に合わせて官製の納品書や領収書を作ればいいと思っている。税的特典を受ける金銭の授受も同じ、ただし税率はゼロを適用すればいい。「プライバシーが」、「中小業者の設備費が」という言い訳はこじつけだろう。それが本当に問題だとしても、別の対応策がありうる。
それに、普通のサラリーマンが個人資産を完全に捕捉されたとして、どの程度の不利益があるのか。これも体験上、大した金額になりっこない。
政治と行政がクロヨンなどを認めないのは、原発に対する安全神話みたいなものと断言していい。自分達がやってきたことを正当化するための強弁だと思えて仕方ない。
いずれにせよ、1万円札を廃止したら日本人の現金崇拝がなくなると考えるのは間違いだろう。
京都の祇園界隈では、鍵のかかったカバンを重そうに持ち歩きする、身なりの立派な紳士/淑女がたくさん見られるようになるかもしれない。当然、1000円札を運ぶためである。それとも、早朝、それこそリュックサックで高級飲食店に出入りする使用人風情が多くなるのか。これは、何ヶ月分か貯まったツケを1000円札で一気に支払うためである。
庶民にも困ったことが発生する。結婚式の祝儀、葬儀の不祝儀である。1000円札で包まないといけないのなら、どうするのか。しかも祝儀はピン札という決まりがあるし、ピン札の両替が有料化されてきているし。
こう考え、ついでに疑問に思ったことがある。祝儀、不祝儀について、アメリカはどうしているのか、急速にキャッシュレスかが進む中国はどうするのか。一度知り合いに質問しないといけない。キャッシュレス社会、水面下でいろんなことが起きるだろう。

2018/01/19


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